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一ノ谷沼 : ミニ英和和英辞書
一ノ谷沼[いちのやぬま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 
: [ぬま]
  1. (n,n-suf) swamp 2. bog 3. pond 4. lake 

一ノ谷沼 : ウィキペディア日本語版
一ノ谷沼[いちのやぬま]
一ノ谷沼(いちのやぬま)は、茨城県猿島郡境町部に所在していたである。
== 概要 ==
この一ノ谷沼は長らく水面を有し、魚介を生産する入会の沼地であった。大正時代に至ると1915年大正4年)に一度干拓計画が持ち上がるが、このときには実現せず、1941年昭和16年)に前年1940年(昭和15年)の農地開発法を受け開発されることとなった。当初、一ノ谷沼の北部に猿島村営堤塘を造成し、排水機場が設置され干拓が開始された。これによって1944年(昭和19年)4月に干拓され、水田が生み出された。続いて1947年(昭和22年)7月に一ノ谷沼南部の干拓事業が完了する予定であったが、同年9月のカスリーン台風により水害を受け、干拓地に被われてしまった。この後、茨城県代行干拓建設事業として1950年(昭和25年)に事業が立ち上がり、1953年(昭和28年)に75町歩(約74.38ha)の水田が新規に造成された。造成に続き1956年(昭和31年)5月に一ノ谷沼土地改良区が農業生産力の向上を目的として発足され、同年の10月に利根川浚渫土砂を利用して客土を行い、1958年(昭和33年)2月に二毛作の可能な約8066(80ha)の農地が整備された。〔『下総 境の生活史 図説・境の歴史(210ページ ~ 211ページ)』 境町史編さん委員会 編集 境町 発行 平成17年3月1日 発行〕この後の昭和40年代には利根川よりサンドポンプにて汲み上げたや、東京をはじめ近県の都市開発により生じたコンクリート片残土を投入し、約2mの高さに埋め立てられている。〔『下総 境の生活史 地誌編 自然・動植物(54ページ)』 境町史編さん委員会 編集 境町 発行 平成16年3月31日 発行〕
開発される以前の植生としてはが挙げられ、漁労を行っていた人々はこのを採取して販売していた。沼ではかつて多数の魚類雑魚など)や貝類(カラス貝・ドブ貝シジミタニシなど)、エビ類テナガエビヌマエビスジエビなど)が生息しており漁業が行われていた。漁法として「地引網」・「張り網(定置網)」・「オキバリ」・「ウナギカキ」・「タカッポ」・「ナガナワ(ナガナ)」・「ポッカンヅリ」・「ザコボッチ」・「ササエビ取り」・「バッタケ捕り」・「切り込み漁」などが行われていた。〔『下総 境の生活史 地誌編 自然・動植物(54ページ、209ページ ~ 213ページ)』 境町史編さん委員会 編集 境町 発行 平成16年3月31日 発行〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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