翻訳と辞書
Words near each other
・ リミット (テレビドラマ)
・ リミット (漫画)
・ リミット もしも、わが子が…
・ リミット もしもわが子が…
・ リミット-刑事の現場2-
・ リミットちゃん
・ リミットオーダー
・ リミットサイクル
・ リミットスイッチ
・ リミットレス
リミットレスビッド
・ リミテッド
・ リミテッドアニメ
・ リミテッドアニメーション
・ リミテッドスリップデフ
・ リミテッド・アニメーション
・ リミテッド・パートナーシップ
・ リミテッド・ライアビリティ・カンパニー
・ リミテッド・ヴァンパイア
・ リミニ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リミットレスビッド : ミニ英和和英辞書
リミットレスビッド
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リミットレスビッド : ウィキペディア日本語版
リミットレスビッド

リミットレスビッド1999年 - )は日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた元競走馬全兄フサイチゼノンアグネスゴールドらがいる。
== 戦績 ==
2001年(2歳)、デビュー戦となった芝の新馬戦では、1番人気に支持されるも2着で、続く新馬戦も1番人気に支持されるが2着だった。
2002年(3歳)、6月に初のダートとなった未勝利戦で勝利し3戦目で初勝利を挙げるも、その後の2戦は勝てなかった。
2003年(4歳)、この年から芝のレースに専念し、この年3戦目の筑紫特別(500万下)を制し、続く別府特別(1000万下)も勝利する。その後の1戦は3着となるも、壬生特別(1000万下)を制した。
2004年(5歳)、この年2戦目の仲秋特別(1000万下)を制し、その後の1600万下クラスのレースを好走した後に格上挑戦したアンドロメダステークスでは2番人気に支持され、シーイズトウショウらを相手に勝利し5歳にしてオープン馬となる。重賞初挑戦となったCBC賞では、9番人気ながら3着という好走の結果で、メイショウボーラーアドマイヤマックスらに先着した。
2005年(6歳)、シルクロードステークスでは、2番人気に支持されるも4着、その後2戦したが勝つことはなかった。
2006年(7歳)、久々のダートとなったガーネットステークスでは、6番人気で勝利し7歳で重賞初勝利を挙げ、続く根岸ステークスも勝利し、迎えたフェブラリーステークスでは、前年同じレースを2連勝し同レースを制したメイショウボーラーの再現が期待されたが7番人気で11着という結果に終わった。その後は再び芝のレースを中心に走り、CBC賞で3着になるなどしたが勝利することはなかった。しかしダートの東京盃では、3番人気で勝利し重賞3勝目を挙げ、続くJBCマイルでは3着となった。そして京阪杯で4着となった後の兵庫ゴールドトロフィーを制した。
2007年(8歳)、前年と同じくガーネットステークス、根岸ステークス、フェブラリーステークスを走るが1勝もすることはなかったが、その後の黒船賞を制した。そしてかきつばた記念で3着、さきたま杯で5着、プロキオンステークスで2着となった後の東京盃では、メイショウバトラーなどを下し連覇を達成した。その後第7回JBCスプリントに出走するも、差し届かず4着だった。しかし続く兵庫ゴールドトロフィーでは59.5キロの厳しい斤量を背負いながらも勝利し、同レース連覇を達成した。
2008年(9歳)は、ここ2年出走してきたガーネットステークスに出走せず、根岸ステークスから始動するも、スタートで立ち遅れたこともあり、13着に大敗したが、続くフェブラリーステークスでは5着だった。その後、2006年の京阪杯以来の芝のレースとなる高松宮記念に出走するがスタートで立ち遅れ、11着だった。その後、ダート交流重賞のかきつばた記念に出走し、2着となったのちのさきたま杯で勝利した。その後、プロキオンステークス東京盃JBCスプリントと3戦連続で6着となった。続くカペラステークスでは4着、3連覇を目指していた兵庫ゴールドトロフィーでは前年より0.5キロ軽い59キロで出走するも3着に終わった。
2009年(10歳)、2年連続で根岸ステークスから始動したが、14着と大敗した。その後、2年ぶりの開催となった黒船賞に出走するが、7着に終わった。その後、3年連続で出走したかきつばた記念では3着と好走した。その後、連覇を懸けて挑んださきたま杯では5着だった。続くプロキオンステークスでは中団追走も8着に敗れた。続くサマーチャンピオンではヴァンクルタテヤマから7馬身差離された3着に終わった。その後、4年連続での出走となった東京盃では10着に終わった。続くJBCスプリントでは3着に終わった。そして兵庫ゴールドトロフィーの2着を最後に現役を引退し、韓国種牡馬入りすることになるはずだったが、翌年も現役を続行することになった。
2010年(11歳)、黒船賞から始動したが見せ場なく7着に終わった。続く東京スプリントでは人気通りの7着に敗れた。そして、4月9日付けでJRA競走馬登録を抹消され現役を引退した。引退後は種牡馬となることが発表された。2011年1月に韓国に輸出されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リミットレスビッド」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.