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メイショウボーラー : ミニ英和和英辞書
メイショウボーラー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

メイショウボーラー : ウィキペディア日本語版
メイショウボーラー[ちょうおん]

メイショウボーラー英語表記:''Meisho Bowler''〈冠名+山高帽の意味であるBowlerより〉 香港表記:〈ボウラーの意〉)は日本の元競走馬で、現在はイーストスタッドで繋養されている種牡馬
中央競馬2005年フェブラリーステークスなど重賞5勝を挙げ、生産牧場の日の出牧場1968年の創業以来初となるGI制覇をもたらした。
== 戦績 ==

2003年7月20日小倉競馬場福永祐一を鞍上にデビュー。1番人気に応え、続くフェニックス賞でも完勝。重賞初挑戦の小倉2歳ステークスでも2着コスモサンビームに5馬身差の圧勝。デイリー杯2歳ステークスでも勝利し、デビュー4連勝を飾る。無敗で挑んだ朝日杯フューチュリティステークスではオリビエ・ペリエが騎乗したが、惜しくもクビ差の2着。
3歳時は弥生賞2着、皐月賞3着、NHKマイルカップ3着と惜敗が続く。東京優駿の出走を見送ってまで安田記念で古馬に挑戦するも、11着と大敗。秋はスワンステークスマイルチャンピオンシップCBC賞と出走するが1年以上勝ち星が無いまま古馬となる。
4歳となった2005年、ダートへ路線転向する。ガーネットステークス根岸ステークスと快勝。フェブラリーステークスでは、アドマイヤドンタイムパラドックスなどを下し見事初のGI制覇を果たした。フェブラリーステークスの後は高松宮記念へ出走。しかし、16着と惨敗。再びダートのかしわ記念JBCスプリントへ出走するも惨敗、横山典弘が手綱を取った兵庫ゴールドトロフィーではデビュー以来最も重い馬体重でも2着に入り、復調の兆しも見えたが、2006年初戦の根岸ステークスでは7着、連覇を狙ったフェブラリーステークスでもカネヒキリの15着と大敗した。続くかきつばた記念では、ノボトゥルーと同じ最高負担重量の59kgを背負わされ、2番人気に推されるも4着に敗れた。そして再び芝に戻った安田記念では14着と敗れた。
しかし、続いてのサマーチャンピオンではメイショウバトラーの2着と、復調気配を見せた。さらに芝に戻ったセントウルステークスでは7着に敗れたものの、続いてのスプリンターズステークスでは先行し、外国の強豪相手に2着に入線し、日本馬最高着順となった。だが、続いてのスワンステークスでは9着と敗れた。
その後、厳しいローテーションで香港スプリントに挑戦した。しかし、スタートで大きく出遅れ、途中で走るのを止めたため競走を中止した。
2007年2月3日に小倉競馬場でのゲート再審査を受ける予定だったが、1月24日の調教後に腹痛を起こし再審査は中止された。8月4日の小倉競馬場での開催終了後に小倉2歳ステークス以来となる小倉競馬場に姿を現しゲート審査を受け合格した。その後サマーチャンピオンに出走登録を行ったが回避し、第41回スプリンターズステークス南部杯に出走登録を行う。結局南部杯は回避し、スプリンターズステークスに出走。しかし久々のレースで15着と大敗し、10月23日に競走馬登録を抹消された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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