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メイショウトウコン : ミニ英和和英辞書
メイショウトウコン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


メイショウトウコン : ウィキペディア日本語版
メイショウトウコン

メイショウトウコン2002年 - )は日本競走馬。馬名の意味は「メイショウ」の冠名に闘魂。
== 戦績 ==
2004年12月12日、デビュー戦となった中京競馬場での2歳新馬戦は安田伊佐夫厩舎所属の安田康彦騎手が騎乗し、12番人気ながら3着という結果だった。 しかし、その後12連敗することになる。
2005年10月2日、デビューから13戦目となった札幌競馬場での3歳未勝利で1番人気に応えようやく初勝利を挙げた。しかし、500万下クラスのレースを5連敗することになる。その間に主戦だった安田康彦は引退してしまった(ちなみに本馬の未勝利戦勝利が彼の現役最後の勝利となった)。
2006年8月12日、札幌競馬場での3歳上500万下のレースでは初のダートで4番人気だったが見事勝利した。この時は2度目の騎乗となる武幸四郎騎手が騎乗しており、以降主戦騎手となり、ダートを中心に出走するようになる。
その後、1000万下クラスの大雪ハンデで2着になり、次のアカシヤ特別で勝利し連敗することなく1600万下クラスに昇級し、花園ステークスでは昇級緒戦ながら勝利しオープン馬となり2006年を終えた。
2007年、初の重賞挑戦となった第14回平安ステークスでは騎乗停止中の武幸四郎から石橋守に乗り替わり9番人気という評価だったが、サンライズバッカスにアタマ差で先着し重賞初挑戦で初制覇となった。初のGI挑戦となった第24回フェブラリーステークスでは再び武幸四郎が騎乗し4番人気という評価だったが11着と敗れてしまった。第12回アンタレスステークスでは1番人気に支持されるも3着となり、第24回東海ステークスでは2番人気で勝利し重賞2勝目を挙げた。
その後、ホッカイドウ競馬ダートグレード競走ブリーダーズゴールドカップに出走予定であったが、馬インフルエンザの問題で、同馬を含む中央馬全馬が競走除外になった。その後は9月17日に札幌競馬場で行われたエルムステークスに出走。武幸四郎が怪我のため池添謙一に乗り替わるものの、直線では相手を寄せ付けず完勝、重賞3勝目を挙げ、10月3日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは、110ポンドの評価を得た。続く第8回ジャパンカップダートは4番人気で、後方から鋭く追い込むものの、届かず4着だった。続く第53回東京大賞典では3番人気で3着となった。
2008年、連覇を狙う第15回平安ステークスに出走。直線では後方から鋭く追い上げたが届かず2着に敗れた。続く第25回フェブラリーステークスでは8着だった。その後の名古屋大賞典では、最後方からのロングスパートで昨年の同レース覇者アルドラゴンを交わし勝利した。続く第13回アンタレスステークスでは3番人気に推されたが、14着に敗れた。その後、連覇を狙って第25回東海ステークスに出走したが、10着と敗れたが、前年、馬インフルエンザの問題で競走除外となったブリーダーズゴールドカップでサカラートとの競り合いをハナ差で制した。その後、連覇を目指しエルムステークスに出走、1番人気に支持されたが4着だった。続くJBCクラシックは3着だった。続くジャパンカップダートでは1番人気のヴァーミリアンを見る格好で後方からレースを進め、4コーナーでまくりかけ、直線でヴァーミリアンを交わし、出走馬中最速の上がりを見せたが、先に抜け出したカネヒキリをアタマ差捉えられず、2着に終わった。その後、名古屋グランプリに出走、1番人気に支持されたが、ワンダースピードの2着に敗れた。
2009年3月20日に安田伊佐夫厩舎が逝去、解散したため武田博厩舎に転厩となり、転厩初戦となった3月25日名古屋大賞典から始動したが、スマートファルコンの3着に敗れた。続くアンタレスステークスではスタートで出遅れ、後方からレースを進めるも見せ場なく8着に敗れた。続く東海ステークスでも8着だった。その後、7月20日マーキュリーカップに出走。中団からレースを進めるも、直線で伸びあぐねて8着に敗れた。休養を挟んで11月3日JBCクラシックではヴァーミリアンの4着に終わった。続く12月6日のジャパンカップダートでは後方から追い上げるも7着だった。続く12月23日の名古屋グランプリでは4着に敗れた。その後は一度もレースに出走することなく2011年9月28日付で競走馬登録を抹消され、北海道浦河町の村下牧場で種牡馬となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「メイショウトウコン」の詳細全文を読む




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