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ランドン・ロナルド : ミニ英和和英辞書
ランドン・ロナルド[らん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

ランドン・ロナルド : ウィキペディア日本語版
ランドン・ロナルド[らん]

サー・ランドン・ロナルド(Sir Landon Ronald、1873年8月14日 - 1938年8月14日)は、イギリス指揮者
ロンドンに生まれ、1884年王立音楽院に入学。1891年にはコヴェントガーデン王立歌劇場コレペティトールになり、1896年に同歌劇場で『ファウスト』を指揮して正式にデビューを飾った。また、同時期にオーガスタス・ハリスの旅回り歌劇団の指揮者も務めていたほか、1894年にはネリー・メルバの伴奏ピアニストとしてアメリカ合衆国を巡演するなど、音楽家としての経験を積んでいった。
1898年から1902年まで、ロンドンでミュージカル・コメディを指揮した後、1904年から1907年までロンドン交響楽団の客演指揮者を務め、1908年には同楽団とヨーロッパへ楽旅。1909年から1914年までロンドン新交響楽団の首席指揮者、1916年から1920年までスコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者を歴任した。
1910年から亡くなるまでギルドホール音楽学校の校長を務め、イギリス音楽教育界の重鎮として活躍した。
ロンドンにて没。
1909年には、新交響楽団(現ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団)との共演で、グリーグピアノ協奏曲をレコーディング(世界初の協奏曲録音)をしたことでも名高く、イギリス・パールレーベルよりCD化され、聴くことができる(GEMS-0102、元のレーベルはドイツ・グラモフォン)。ちなみにこのとき、ピアノ独奏を務めたのはヴィルヘルム・バックハウスであった。
作曲家としても活動しており、交響詩などの管弦楽曲をはじめ、歌曲も残している。
独奏ピアニストとしては1900年、G&Tにショパン軍隊ポロネーズなどの録音を行っており、こちらもCDに復刻されている(APR-5531)。また、前出のネリー・メルバとの録音(伴奏ピアノ、伴奏オーケストラ指揮ともに)も遺されている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ランドン・ロナルド」の詳細全文を読む




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