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ヨハン・シュターミッツ : ミニ英和和英辞書
ヨハン・シュターミッツ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヨハン・シュターミッツ : ウィキペディア日本語版
ヨハン・シュターミッツ[ちょうおん]

ヨハン・ヴェンツェル・シュターミッツJohann Wenzel Stamitz[チェコ語:ヤン・ヴァーツラフ・スタミツ''Jan Václav Stamic''], 1717年6月30日受洗 - 1757年3月27日)はボヘミア出身の作曲家ヴァイオリニスト
オルガニストの父親から音楽の手ほどきを受けた後、プラハカレル大学に学ぶ。1741年マンハイムに行き、1743年に同地の宮廷楽団の首席ヴァイオリン奏者に、1745年には宮廷楽長に昇格する。この間にシュターミッツは、マンハイム宮廷楽団をヨーロッパで最も尊敬されるオーケストラの一つに育て上げた。1754年から55年までパリに過ごし、作品ともどもあたたかい歓迎を受けた。それから2年後にマンハイムにて他界。後任楽長はクリスティアン・カンナビヒであった。
シュターミッツは一般的に、いわゆるマンハイム楽派の創設者であり、この楽派の最も傑出した一員と看做されている。ヴァイオリン協奏曲やフルート協奏曲、おびただしい数の室内楽曲、ミサ曲(1755年)などを遺したが、最も重要な作品は、50曲以上にのぼる交響曲である。シュターミッツは、メヌエット楽章を挿入した4楽章制の交響曲を、最初に規則正しく書き続けた作曲家である。またソナタ形式の発展にも貢献した。
マンハイム楽派の他の作曲家と同じように、シュターミッツはオーケストラの書法において、管楽器により目立った役目を与え、デュナーミク(強弱法)をより大胆に活用したことで有名である。
二人の息子カールアントンも作曲家になった。
== 外部リンク ==

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抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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