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ヨシトミ : よみがなを同じくする語

吉富
ヨシトミ : ミニ英和和英辞書
ヨシトミ[しばた よしとみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ヨシトミ ( リダイレクト:柴田善臣 ) : ウィキペディア日本語版
柴田善臣[しばた よしとみ]

柴田 善臣(しばた よしとみ、1966年7月30日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の騎手
息子は新人当時は伊藤圭三厩舎に所属し、その後高橋祥泰厩舎を経て2014年より田島俊明厩舎の厩務員である柴田健登柴田健登のTwitter 〕。調教師柴田政見柴田政人、元騎手の柴田利秋は叔父(善臣の父が長兄)にあたり、元プロ野球選手埼玉西武ライオンズ)の柴田博之は従兄弟(利秋の息子)にあたる。
== 来歴 ==
1982年競馬学校の第一期生として入学。1985年に騎手免許を取得し、美浦の中野隆良厩舎所属でデビュー。初騎乗は同年3月9日中山競馬第6競走のイズミサンエイで5着、初勝利は同年4月7日の中山競馬第3競走のイズミサンエイであった。同年は12勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞している。1988年中山牝馬ステークスで、主戦の柏崎正次騎手が斤量50kgでの騎乗ができない為、代打でソウシンホウジュに騎乗し、重賞初勝利を挙げた。
1993年安田記念ヤマニンゼファーに騎乗し、GI初勝利を挙げた。この時期の前後から安定して勝利を重ね、関東の有力騎手として台頭。2001年1月21日には中山第5競走の新馬戦においてティエッチコマンドに騎乗して1着となり、JRA通算1,000勝を達成〔JRA公式ウェブサイト 騎手名鑑『柴田善臣』表彰暦・記録より〕し、ワールドスーパージョッキーズシリーズも2度制覇(1999年2003年)している。そして、掲示板(5着以内)へ頻繁に入着する堅実な騎乗で3年連続JRAの関東リーディングジョッキー(2002年-2004年)に輝いている。また、夏の新潟福島開催で好成績を残しており、なかでも2002年から2004年にかけて3年連続で新潟リーディングジョッキーに輝いているほか、2001年7月14日の新潟競馬第10競走「NiLS21ステークス」ではツジノワンダーに騎乗して当時の芝2000メートル日本レコードとなる1分56秒4を記録している〔現在の芝2000メートル日本レコードは2011年10月30日天皇賞(秋)トーセンジョーダンニコラ・ピンナ騎乗)が記録した1分56秒1。〕。
一方で、中央GIを8勝していながら、クラシックのGIは未勝利である。また、8勝のうち6勝が東京と中京の左回りの競馬場で、右回りの競馬場では長らく中央GI勝利がなかったが、2010年の宝塚記念ナカヤマフェスタで制し、右回りの競馬場での中央GI初勝利となった。JRA主要競馬場の1つの京都競馬場重賞は長く未勝利であったが、2007年マイネルスケルツィ京都金杯を勝ったことにより、重賞を勝っていない競馬場は函館小倉となった。
2001年から2005年の間は中央GIを勝つことができず、また見せ場も少なかった。しかし2006年高松宮記念で6年振りの中央GI制覇を果たしたのを皮切りに、桜花賞ヴィクトリアマイル優駿牝馬といった牝馬GIの舞台で、人気薄の馬を好走させている。そして、続く東京優駿でも、初騎乗のアドマイヤメインで2着に入った。惜しくもダービージョッキーとなることは出来なかったが、例年のイメージと異なるその姿は、周囲を驚かせるに十分であった。
また2010年は、前述のように宝塚記念で4年ぶりのGI勝利の後、ラジオNIKKEI賞をアロマカフェで、七夕賞を11番人気のドモナラズで勝ち、3週連続重賞勝ちを記録した。その後、2011年12月17日には、中山第11競走のディセンバーステークスにおいてナカヤマナイトに騎乗して1着となり、JRA通算2,000勝を達成した〔JRA公式ウェブサイト 騎手名鑑『柴田善臣』表彰暦・記録より〕。2012年11月11日にはエリザベス女王杯をレインボーダリアで制覇し、自身初となる牝馬GI及び京都競馬場でのGI競走優勝を果たした。
デビュー後、3年間は平地のほか、障害競走にも騎乗していたことがあり、40戦2勝の成績を挙げている。デビューした1985年12月21日中山大障害(秋)にスガノキングで障害重賞初騎乗を果たしている(結果は8頭中7着)。得意ではなかったと回顧しており、自分に向いていないと感じたことや騎乗予定だった馬の事故などがあり、障害免許の更新をしなかった。だが、障害競走に騎乗したことで勉強できたこともあったと語っている〔『素顔のままで』P18〕
重賞4勝馬ワシントンカラーを始め、管理馬の数多くを柴田に騎乗依頼している調教師の松山康久は、柴田を「騎乗馬の状態判断が的確であり、義理堅く、丁寧なやりとりをしてくれている」と語っているように関係者からの評判も良い。
高橋祥泰厩舎に実習に来た競馬学校2年時の田中博康(現騎手)に、調教の仕方を教えたということもあった。柴田は「常に馬と会話をしながら乗りなさい」と教え、田中はその柴田を「本当に丁寧な調教をされる」と敬意をもって評している。〔netkeiba.com『ホソジュンのステッキなお話 田中博康騎手』より〕また田中は「先輩騎手から技術を盗めるとしたら、どの騎手のどの部分が欲しい?」といった質問を受けた際も、「善臣さんのレースに行っての折り合いのつけ方」と回答している。〔『競馬最強の法則2009年9月号〕
かねてより腰の不安が指摘されていたが、2009年1月4日の中山競馬で9年7か月ぶりの騎乗停止処分を受けたため、それを機会に休養し腰椎ヘルニアの手術を受けた〔日刊スポーツ 2009年1月8日 〕。その後約1か月のリハビリに専念し、2月21日の東京競馬にて復帰、22日にはフェブラリーステークスでナンヨーヒルトップに騎乗した。
2005年3月、岡部幸雄の引退に伴い、かつては叔父の柴田政人も務めていた日本騎手クラブの会長に就任。2010年4月12日に東西役員総会の役員改選で後任の会長に武豊が選出され〔ラジオNIKKEI 2010年4月21日付 〕、同年9月15日付で会長を退任して相談役に就いた〔sanspo.com 2010年9月16日付 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柴田善臣」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yoshitomi Shibata 」があります。




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