翻訳と辞書
Words near each other
・ ユー子
・ ユー山形
・ ユー島
・ ユー福島
・ ユ亮
・ ユ信
・ ユ域
・ ユ岳
・ ユ悦
・ ユ持
ユ杲之
・ ユ炅旻
・ ユ皇后
・ ユ翼
・ ユ自直
・ ユ闡
・ ョ
・ ヨ
・ ヨアキム
・ ヨアキム (デンマーク王子)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ユ杲之 : ウィキペディア日本語版
ユ杲之[ゆ こうし]
庾杲之(ゆ こうし、441年 - 491年)は、南朝宋からにかけての官僚は景行。本貫新野郡
== 経歴 ==
司空参軍の庾粲の子として生まれた。奉朝請を初任とし、巴陵王征西参軍となった。郢州で秀才に挙げられ、晋熙王鎮西外兵参軍に任じられた。昇明年間、蕭賾の下で征虜府功曹となり、尚書駕部郎をつとめた。清貧で自ら生業を営み、野草や山菜のみを食べて暮らした。任昉がふざけて「誰が庾郎を貧しいというのか。鮭を27種類も食べているというぞ」といった。蕭賾の下で撫軍中軍記室となり、員外散騎常侍・正員郎に転じた。中書郎となり、荊湘二州中正を兼ねた。尚書左丞となった。永明年間、王倹の下で衛将軍長史となった。黄門郎となり、御史中丞を兼ねた。まもなく正式に御史中丞となった。武帝(蕭賾)の命により北魏に対する使者をつとめ、侍中を兼ねた。諸王がまだ年少であったため、杲之は江淹とともに、5日に1回諸王のもとを訪れて遊ぶよう武帝に命じられた。まもなく廬陵王中軍長史となった。尚書吏部郎に転じて、官僚の選挙の事務に参与した。太子右衛率に転じ、通直常侍の位を加えられた。491年(永明9年)、死去した。享年は51。は貞子といった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ユ杲之」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.