翻訳と辞書
Words near each other
・ ムハンマド・タキー
・ ムハンマド・タパル
・ ムハンマド・タンタウィ
・ ムハンマド・タンターウィー
・ ムハンマド・ダーウード
・ ムハンマド・トゥレ
・ ムハンマド・ナイーム
・ ムハンマド・ナギーブ
・ ムハンマド・ナジーブッラー
・ ムハンマド・ナジーブ・アッ=ルバーイー
ムハンマド・ナースィル
・ ムハンマド・ナーディル・シャー
・ ムハンマド・ハニーフ・アトマル
・ ムハンマド・ハムザ・アッ=ズバイディー
・ ムハンマド・ハーシム・ハーン
・ ムハンマド・バディーウ
・ ムハンマド・バラカ
・ ムハンマド・バラケ
・ ムハンマド・バーキル
・ ムハンマド・バーキル・ハキーム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ムハンマド・ナースィル : ミニ英和和英辞書
ムハンマド・ナースィル[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ムハンマド・ナースィル : ウィキペディア日本語版
ムハンマド・ナースィル[ちょうおん]
ムハンマド・ナースィルمحمد الناصر Muhammad al-Nāsir, ? - 1213年)は、ムワッヒド朝の第4代アミール(在位1198年 - 1213年)。
ムワッヒド朝の最盛期を築いた第3代君主ヤアクーブ・マンスールの子。父の死後、即位したが、ナースィルの治世はムワッヒド朝の創建から80年を経て王朝を支えたタウヒード主義運動への熱意を失わせ、王朝は徐々に弱体化していた。さらに、イベリア半島キリスト教徒たちによる十字軍が結成され、アンダルス(スペイン南部)のムワッヒド朝支配領域を脅かした。
これに対して1212年、ナースィルは自ら大軍を率いてジブラルタル海峡を渡り、トレドまで遠征した。しかし、ラス・ナバス・デ・トローサの戦いで、カスティリャ王国アルフォンソ8世らを中心とする連合軍に敗れ、アンダルスに対する支配力を失った。ムワッヒド朝はこの戦いで10万人から50万人と言われる無数の戦死者を出し、かつてマンスールの時代に最盛期を支えた軍はほとんど壊滅した。ナースィルは首都マラケシュに逃げ帰ることができたが、ほとんど政治への意欲を失い、翌年失意のうちに没した。
この敗戦の後、王朝創建の地モロッコでもベルベル人マリーン族が反旗を翻し、さらにアラブ遊牧民の侵攻や有力者間の権力争いなどが激化、ムワッヒド朝は急速に衰えていった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ムハンマド・ナースィル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.