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ボサノバカサノバ : ウィキペディア日本語版
ボサノバカサノバ

BOSSANOVA CASSANOVA(ボサノバ・カサノバ)は、SHO1(田村庄一)と吉澤秀人による日本の音楽ユニットである。パパラギレコード所属。愛称は「ボサカサ」。正式記載表記はアルファベットの大文字で「BOSSANOVA CASSANOVA」。カタカナの場合「ボサノヴァ・カサノヴァ」が正しい。しかし商業的に明解に「ボサノバカサノバ」と使用している。音楽プロデュースを始め、様々なアーティストへの楽曲提供・ライブサポートを行い、ラジオパーソナリティとしても活動している。
== 経歴 ==

* 1980年頃 
SHO1:群馬県前橋市在住。群馬県立前橋工業高校金属工業科在学中は主にギター弾き語りスタイルにて活動。主にさだまさし、松山千春、井上陽水などの第二次日本フォーク世代のカヴァーをたしなむ。
吉澤秀人:群馬県前橋市出身。現在は神奈川県藤沢市在住(2013年現在)。群馬県私立東京農大ニ高在学中は中学時代の友人達とチューリップなどのコピーバンド「地球塵(ちきゅうじん)」を結成。主なメンバーにはROGUEのギタリスト香川誠(当時ドラムス)がいた。ちなみにSHO1は同じROGUEの奥野敦士(VO.)と高校三年間同じクラスであったのは有名である。
* 1982〜1984
SHO1と吉澤は、時同じくして別の場所にてバンド活動。SHO1はオフコースPINK CLOUDなどのカヴァーバンド「4×4(フォーバイフォー)」を栃木県私立足利工業大学機械工業科在籍中に結成。吉澤秀人は神奈川県私立横浜商科大学在籍中にCHARなどさまざまなカヴァーバンドを渡り歩き、後に東京のロックバンド「モダングレイ」のベースを担当する。
 
* 1986
SHO1 本格的にソロ活動を開始。当時周りのミュージシャンはカヴァー演奏が流行するにも、自分はオリジナルで勝負したいと創作活動、及び編曲を独学しはじめる。同じ頃、当時 神奈川にいた吉澤秀人もSHO1と同じくオリジナル曲をひとり多重録音に勤しむ。
SHO1 当時コミュニティFMの先駆けとなるFM西武のジングルや当局のレギュラー番組も担当。SHO1の当時好きだった、さだまさしなどのトークの影響からか、その頃から喋りの才能の頭角を現してきている。
SHO1と吉澤 お互い高校を卒業後、音信不通だったふたりだったが、SHO1が当時演っていた「ひとりアカペラライヴ」のゲストに吉澤秀人を呼んだことが後のボサカサの結成のきっかけとなった。その時、一緒に演った曲は、PINK CLOUD「SWEET MY BABY」、佐野元春「情けない週末」。これをきっかけに、お互いのオリジナル曲を聴かせ合うようになる。これは吉澤も当時カヴァー曲を演奏するのにも飽きており、オリジナル曲を創作していたことがSHO1と「時同じくして別の場所で相重なったということが不思議な縁だった」とその後、SHO1は語っている。
* 1988
7月7日、現在のメンバーであるSHO1(田村庄一)と吉澤秀人の2人にて「BOSSANOVA CASSANOVA」結成。結成当時のグループ名称は「庄一と秀人」。ファーストカセットアルバム「SEA SIDE SHE SAID」リリース。瞬く間に地元界隈にて完売。同年 クリスマス限定カセットアルバムをリリース。
* 1991年夏
彼らの共通の友人であった石田修身(パーカッション)を迎え、2本組セカンドカセットアルバム「ISONO」リリース。
* 1991年冬 
サードカセットアルバム「DONA-DONA」リリース。後の「キューピー」に収録される「ボサカサショー」の前身とも取れる「ボサカサショー」が収録されている。その頃、群馬を拠点とするオルタナティブロックバンド「キタマクラ」のメンバーだった、それもまたよし(道木正之(BASS)) をヘッドハンティング。
* 1992年 
ライヴカセットアルバム「ボサカサ(通称:キャラメル)」(前橋ガーシャレーベル)よりリリース。メンバーも増え、この頃から、ライヴの拠点を関東全域に伸ばす。主な定期ライヴ出演は「渋谷TAKE OFF 7」「前橋ガーシャ」。前橋ガーシャでは徐々に動員を増やす。
* 1992〜1994
巷では「アマチュアコンテスト荒らし」と呼ばれる。YAMAHA、KAWAI、または、FM群馬「ロッカーズ」などにも選抜され数々のおいしい伝説を残す。同年、リクルート主催のアマチュアコンテストにて優勝。メジャーデビューへの切符を手にする。その手引きをしてくれたのが現(有)パパラギ代表取締役の神田道広(通称:ピューピュー道広)である。
* 1991
神田とボサカサの出会い。神田は群馬県前橋市の「夢スタジオ」の第一回アマチュアバンドコンテストの審査委員長。そのコンテストで優勝したのがボサカサだった。神田は当初審査委員長をする者が欠席になり、その代役だった。まさにボサカサと神田の「運命の出会い」となる。その打ち上げの席で神田はSHO1に「うちの主催する東京のコンテストに出てみないか」と声をかける。そして前記「リクルート主催 バンドバッカース」アマチュアバンドコンテストにておよそ1000組の中から奇跡的に優勝を果たす。
* 1994年3月 石田修身、それもまたよし 話し合いの末、脱退。
* 1994年4月21日、「恋のゆくえ」でイースタンゲイルから現在のメンバーにてメジャー・デビュー。販売元 ビクターエンタテインメント
* 1995年 森山良子の旦那経営の「メタフォーン」に移籍。
* 2000年〜 現在のパパラギレコードで活動している。販売元「夢街名曲堂」。
* 2012年 SHO1 1984年以来休んでいたDJを再開。地元群馬や静岡などでDJとしても活躍している。また、吉澤はソロとして数々のミュージシャンのサポートとしても活躍中。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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