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ボサンスカ・ドゥビツァ : ウィキペディア日本語版
ボサンスカ・ドゥビツァ

ボサンスカ・ドゥビツァ(,,)またはドゥビツァ(,,)はボスニア・ヘルツェゴビナを構成する構成体のうちスルプスカ共和国に属する都市および基礎自治体である。コザルスカ・ドゥビツァ()と呼ばれる場合もある。ボサンスカ・ドゥビツァはザグレブベオグラードを結ぶ高速道路から26km離れており、ボサンスカ・クライナ地方の東部に位置し、自治体の北側はクロアチアフルヴァツカ・ドゥビツァと国境を接し、東側はボサンスカ・グラディシュカ、西側はボサンスカ・コスタイニツァ、南側はプリイェドルの各自治体と接している。自治体の面積は499km2で人口は約31,000人である。1991年以来国勢調査は紛争の影響もあり行われていない。
== 歴史 ==

ボサンスカ・ドゥビツァは930年に成立したが、最初に記録されたのは1197年からである。バボニッチ・ヴォディツキ(Babonići-Vodički)が12世紀まで町を治めていた。ボサンスカ・ドゥビツァがオスマン帝国の支配下にあった時代、地理的に戦略的な場所であることから重要な場所となった。国境地帯として長年にわたり活気と重要性があった。オーストリアとトルコの戦争の後、ドゥビツァ紛争(1788-1791)と呼ばれる戦いがこの地域では起こった。ドゥビツァがオスマンの支配下に入ったのは1538年のことでこの間、多くの支配者が代わり後にオーストリア=ハンガリー帝国の支配になった。
第二次世界大戦時、ボサンスカ・ドゥビツァでは多くの犠牲者が出た。1970年代に入るとボサンスカ・ドゥビツァでは経済発展で多くの恩恵を受け、1980年代も建設ブームやリノベーションが続いたがその後はユーゴスラビアの経済的な停滞や社会的な混乱などによりそれも終わり、その後戦争へと突入して行く。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ボサンスカ・ドゥビツァ」の詳細全文を読む




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