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ヘウム : ウィキペディア日本語版
ヘウム

ヘウムポーランド語: Chełm、 , ''Kholm'')は、ポーランド東部の都市。ルブリンの南東、ザモシチの北、ビャワ・ポドラスカの南に位置し、ウクライナ国境からわずか25kmしか離れていない。1999年にルブリン県に含まれるまでは、ヘウム県の県都であった。
数多くの知られた歴史記念物、観光場所のある一方、市はほとんど産業都市の様相である。ジューイッシュ・ユーモア(ユダヤ・ジョーク)(en) においては、町は伝説上の愚か者の中心地である。
市の北部と東部には、ヘウム造景公園として知られる保護区がある。
==歴史==
現在のヘウムのある一帯に、少なくとも9世紀に最初の定住地ができた。続く1世紀にスラヴ人の要塞の町がそこに作られ、事実上異教の中心地として利用されていた。市名の由来は不透明で、ほとんどの学者らはスラヴ語源の平らな丘を意味する''helm''か''holm''ではないかとしている。事実、町の中心部は、現在ゴーラ・ヘウムスカ (''góra chełmska'') と呼ばれる丘のてっぺんにある。しかし、ケルト語が語源であるとする説もある。981年の町に、初期の東スラヴ人の一部族であるブザン族が、周囲の赤ルテニア(チェルヴェンの諸都市)に沿って暮らしていた(彼らはキエフ・ルーシに従属していた)。地元の伝承によれば、ウラジーミル1世によって最初の石造の城が1001年に建てられた。1018年のポーランドのキエフ遠征で、この一帯はポーランド領となったが、1031年にキエフ・ルーシの元へ返還された。
1235年、ハールィチの王ダヌィーロ・ロマーノヴィチは、この町に都市特権を授け、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の首都を置いた。彼は1240年に丘の頂上に新たな城を築き、正教会の主教座を置いた(これが現在の聖母生誕聖堂である)。14世紀まで、町はハールィチ・ヴォルィーニの一部として成長し、短期間ではあるがヘウム公国及びベウス公国の一部であった。1366年、カジミェシュ3世はこの地方を再びポーランドへ併合した。そしてカトリックの司教座が置かれた。1392年1月14日、町はマクデブルク法のうえで再度都市にされ、広域の内政自治権を授けられた。

歳月を通じて、町は歴史的な地方ジェミア・ヘウムスカ(ziemia chełmska、ヘウムの土地)の中心地であり、行政的にはリヴィウを首都とするルテニア県の中心部であった。15世紀から16世紀に市は繁栄し、17世紀には当時ポーランドを襲った戦争のために衰退していった。18世紀、ポーランド東部にある位置が固定され、町は大洪水時代フメリニツキー反乱で受けた被害からゆっくりと回復し始めた。ポーランド全土からやってきた新たな移住者の一部を引き寄せた。この人々はカトリック正教会、そしてユダヤ教徒であった。1794年、ヘウム県が創設された。しかし、のちにコシチュシュコ反乱が勃発し、ヘウムは反乱側についた最初の町となった。1794年6月8日のヘウムの戦いの結果、将軍ユーゼフ・ザヤチェク (en) 将軍の軍はデルフェルデン、ヴァレリアン・ズボフ (en)、フランツ・モーリッツ・フォン・ラシー (en) らが指揮をとったロシア軍に撃破された。町は再び猛攻する軍によって荒らされた。翌1795年、第三次ポーランド分割の影響で、町はオーストリアへ併合された。
1806年のナポレオン戦争、そしてポーランド=オーストリア戦争 (en) の結果、町はあっさりとワルシャワ公国側へついた。しかし、1815年のウィーン会議で町はロシア帝国へ与えられた。町からは地元の行政府、司教座を含む信仰の場がルブリンへ移され、衰退の時代へ入った。19世紀半ば、ロシア軍は強力な駐屯地として町を転用し、町ではロシア兵が人口の顕著な部分を占めることになった。衰退の時代は1866年に終わった。新しい鉄道と町がつながったためである。1875年、ロシア当局者らによって東方典礼カトリック教会が清算され、地元の東方典礼カトリック教徒は正教会への改宗を強いられた。19世紀終わり、地元行政事務所は復興された。1912年、地元のグベールニヤが創設された。
第一次世界大戦の終わった1918年、、町は新たに生まれ変わったポーランドへ復帰した。
ホロコーストによって、ユダヤ人人口のほとんどがソビボル絶滅収容所で殺された。一部のユダヤ人が、ヘウムの下にある地下壕内にある隠れ家を運営していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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