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ブーヴィーヌの戦い : ミニ英和和英辞書
ブーヴィーヌの戦い[ぶーう゛ぃーぬのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ブーヴィーヌの戦い : ウィキペディア日本語版
ブーヴィーヌの戦い[ぶーう゛ぃーぬのたたかい]

ブーヴィーヌの戦い(Bataille de Bouvines, Battle of Bouvines, 1214年7月27日)は、フランスフィリップ2世神聖ローマ皇帝オットー4世フランドル伯フェランイングランドソールズベリー伯ウィリアム(長剣伯)、ブローニュ伯等の連合軍をフランドルとフランスの境近くのブーヴィーヌfr)で破った戦い。
参戦、もしくは関わっていた国(組織・地域)と人物の数は中世ヨーロッパにおいて十字軍を別にすれば最大の会戦だった。この勝利によってフィリップ2世はカペー朝の王権を確実のものとした。一方、敗戦の結果、オットー4世は皇位を失い、イングランド王ジョンは大陸領土の回復に失敗し、イングランドで諸侯の反乱に屈することになる。
== 背景 ==
プランタジネット家のイングランド王ジョンは、後世「アンジュー帝国」と称されたフランス領土の大部分を、甥のブルターニュ公アルテュール1世やフランス王フィリップ2世との抗争で失っており、その回復を目指していた。一方、以前からプランタジネット家と同盟していたヴェルフ家出身の神聖ローマ皇帝オットー4世は、フランス王やローマ教皇と結んで皇帝位を狙うホーエンシュタウフェン家フリードリヒ2世の脅威を感じていた。また、フランドル伯フェランはフランス王と抗争しており、自領への侵攻を受けていた。
1213年にジョンは教皇との争いを解決した後、オットー4世らと謀って、フィリップ2世を南北から挟撃する計画を立てた。ジョンがフランス南部に進撃し、同時にドイツ、フランドル軍がフランドルからフランスに侵入するというもので、1214年に入るとジョンはギエンヌから侵攻してポワチエアンジューを回復したが、オットー4世はドイツ諸侯の動員に手間どり進軍が遅れた。この間に、フィリップ2世は王太子ルイを南部に派遣したため、ジョンはギエンヌに撤退してしまった。残るフランス北部の連合軍はフィリップ2世が自ら軍勢を率いて当たることにした。フィリップ2世は連合軍の追走を受けながら、自軍に有利な場所を選んだ。戦いの前日、フィリップ2世はトゥルネーで作戦会議を開き、西に20kmあるブーヴィーヌでの会戦を決意した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ブーヴィーヌの戦い」の詳細全文を読む




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