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ヴェルフ家 : ウィキペディア日本語版
ヴェルフ家[う゛ぇるふか]

ヴェルフ家()は、中世神聖ローマ帝国で皇帝位を争った有力なドイツ諸侯ヴェルフェン家(Haus Welfen)とも呼ばれる。初期中世バイエルンに発し、その分家がユーラブルグントとなった。さらに初期ヴェルフ家の断絶後、その跡を継いだヴェルフ=エステ家(ヴェルフェン=エステ家)が勢力を誇り、さらに分家であるブラウンシュヴァイク=リューネブルク家からイギリスハノーヴァー王家が出ており、フェラーラモデナのヴェルフ家が近代まで続いた。歴史に大きな足跡を残したのがヴェルフ=エステ家で、ザリエル朝ホーエンシュタウフェン朝と帝位を争ったが、神聖ローマ皇帝となったのはオットー4世のみだった。叙任権闘争における教皇派(ゲルフ)とはこの家を指す。
==初期ヴェルフ家==

ヴェルフ家が歴史に最初に顔を出すのは9世紀初めのことである。ヴェルフ家のシュッセンガウ伯ヴェルフはバイエルンの有力貴族であり、その娘ユーディトカロリング朝の皇帝ルートヴィヒ1世に嫁いでいた。ルートヴィヒ1世は817年帝国整序令を発し、長男ロタール1世イタリアと帝位を、次男ピピンアクィタニアを、三男ルートヴィヒ2世バイエルンを与えると決めていた(以上3人の息子はユーディトの子ではない)。
ところが823年にユーディトが四男カール(シャルル)を生み、ヴェルフ家は彼にも領土を要求する。ルートヴィヒ1世もこれに応えてカールにアレマニアアルザスブルグントなど広大な領域を与えることに決めたため、カロリング朝は親子兄弟の相続を巡る内戦に陥ることとなった。この内戦は843年ヴェルダン条約で決着し、この時既に亡くなっていたピピンを除く3兄弟がフランク帝国を分割することとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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