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フローレンス・ナイチンゲール : ミニ英和和英辞書
フローレンス・ナイチンゲール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フローレンス・ナイチンゲール : ウィキペディア日本語版
フローレンス・ナイチンゲール[ちょうおん]

フローレンス・ナイチンゲールFlorence Nightingale1820年5月12日 - 1910年8月13日)は、イギリス看護師社会起業家統計学者看護教育学者。近代看護教育の母。病院建築でも非凡な才能を発揮した。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名。国際看護師の日(5月12日)は彼女の誕生日である。
ロンドンの聖トーマス病院に付属してナイチンゲール看護学校を設立、これは世界初の宗教系でない看護学校であり、現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部となっている。
ギリシア哲学についても造詣が深く、オックスフォード大学プラトン学者、とも親しく交流した。
== 人物 ==

=== 青年期 ===
裕福なジェントリの家庭である両親の2年間の新婚旅行中にトスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれ、フローレンス(フィレンツェの英語読み)と名づけられる。幼少期は、贅の限りを尽くした教育(フランス語ギリシャ語イタリア語(姉妹とも読み書き話しができた)、ラテン語聖書や哲学の勉強の基礎となるものとして学ぶ)などの外国語、ギリシア哲学プラトン)・数学天文学経済学・歴史(イギリス、外国)、美術音楽絵画英語(英文法、作文)、地理心理学小説などの文学)が施される。しかし、慈善訪問の際に接した貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにするうちに、徐々に人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになる。
その後ブレスブリッジ夫妻という有名な旅行家の友人に連れ添われてローマに旅行に出掛ける。そしてローマの保養所の所長をしていたシドニー・ハーバートと友人を介して知り合った。帰国後、ハーバート夫人である、通称リズことエリザベス・ハーバートとも親しい交際が始まる。
ナイチンゲールは精神を病んだ姉の看護をするという口実で1851年ドイツの病院付学園施設カイザースヴェルト学園に滞在する。ここでは、看護婦(当時)に対しても教育が行われていた。その後看護師を志し、リズ・ハーバートに紹介されたロンドンの病院へ就職するが、ただし無給であった。生活費は年間500ポンドかかったが数少ない理解者の父が出していた。就職に反対する母、姉とは険悪となる。のちに婦人病院長となったナイチンゲールはイギリス各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護婦の必要性を訴える。当時、看護婦は、病院で病人の世話をする単なる召使として見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていた時代であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フローレンス・ナイチンゲール」の詳細全文を読む




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