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フォルクスワーゲン・タイプ181 : ミニ英和和英辞書
フォルクスワーゲン・タイプ181[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フォルクスワーゲン・タイプ181 : ウィキペディア日本語版
フォルクスワーゲン・タイプ181[ちょうおん]

フォルクスワーゲン・タイプ181 「クーリエワーゲン」(Volkswagen Type 181 "Kurierwagen")は、1969年から1983年にかけてフォルクスワーゲン社で製造された軍用の小型軍用車輌である。民間仕様の販売は1980年に終了した。一般的には、英国で「トレッカー」(Trekker)、米国で「シング」(Thing)、メキシコで「サファリ」(Safari)という名称で知られている。
この車はビートルを基本としており、第二次世界大戦中にドイツ軍により使用されていたキューベルワーゲンの延長線上にある、時を経た改良型といえる車である。「キューベルワーゲン」という名称は「バケットシート車」を意味する「キューベルジッツワーゲン」(''Kübelsitzwagen'')の略語である。
== 歴史 ==
1960年代ヨーロッパ内の数カ国の政府は、ヨーロッパ・ジープ(Europa Jeep)と呼ばれる様々な国の軍事、政府系組織で使用するための大量生産が可能な軽量、水陸両用、四輪駆動車輌の共同開発を始めた。しかし、この車輌の開発には時間がかかることが分かり西ドイツ政府はヨーロッパ・ジープの開発が完了して量産に入るまでの間、基本的な要求を満たすことのできる軽量、安価、堅牢な輸送車輌を限定的な数量だけ調達することにした。
フォルクスワーゲン社は1950年代にこの手の車輌を製造する提案をしていたが、その後この提案は見送られた。当時の経営幹部はこの計画が民生用の車としてある程度の需要が見込めることを見出した。メキシコの消費者は、当時メキシコで多数が販売されていたビートルよりも田舎道で扱い易い車を求めており、米国でのビートルを基にしたデューン・バギー(dune buggy)の人気が経営幹部に堅牢で娯楽性に富み荒地走破性能を持つ車が多くの消費者の購入意欲をそそるのではないかという考えを抱かせた。フォルクスワーゲン社は既存の部品を利用することで製造コストを最小限に抑え、利益を最大に上げることができた。
第二次世界大戦時のキューベルワーゲンの様にタイプ181は、タイプ1由来のリアエンジンプラットフォームマニュアルトランスミッション水平対向4気筒エンジンの機械部品を使用し、フロアパンはタイプ1のそれを基にしたカルマンギアのものを流用していた。1973年トランスポーターのプラットフォームが新しくされて部品が刷新されるまでリダクションギア(減速装置の歯車)はトランスポーターの物を使用していた。
民間仕様車の販売はメキシコとヨーロッパでは1971年中に、米国では1972年に開始されたが新しく厳格化された安全基準に対応できずに米国での販売は1975年に中止された。特にタイプ181は、近年のクライスラー・PTクルーザーの場合と同様に小型トラックとしてではなく乗用車として分類されたため、より厳しい安全基準に適合しなくてはならなかった。1975年のDOT 基準の前面ガラスに関する規制 では、前部座席の乗員と前面ガラスの間により長い間隔をあけることを要求していた。オイルショックに応じて造られた小型車同士がある程度の速度で衝突した時にボンネットが乗員と接近しすぎるようになったためにこの変更が必須となった。
ヨーロッパ・ジープはNATO加盟各国のメーカーが合同で小型偵察車両を製造するというNATOの夢であった。タイプ181はヨーロッパ・ジープの準備が整うまでの間この役割を果たす唯一の車だと考えられた。1968年から1979年の間に5万台以上のタイプ181がNATO軍に納入された。1979年にヨーロッパ・ジープ計画が完全に瓦解し放棄されると西ドイツ政府はタイプ181 の損耗を補うためにタイプ183・イルティスの調達を開始した。
西ドイツ政府がタイプ183の調達に変更したにも関わらずヨーロッパやメキシコでの民間仕様のタイプ181の販売は1980年まで続けられ、NATOを含む幾つかの組織では信頼性の高さと調達/維持費用の低さに魅かれて1983年まで軍事仕様のタイプ181の調達が続けられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォルクスワーゲン・タイプ181」の詳細全文を読む




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