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バーナード・ラガト : ミニ英和和英辞書
バーナード・ラガト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バーナード・ラガト : ウィキペディア日本語版
バーナード・ラガト[ちょうおん]

バーナード・ラガト (Bernard Kipchirchir Lagat、1974年12月12日 - )は、ケニア出身のアメリカ合衆国の陸上競技選手。ワシントン州立大学卒業。屋外1500m、3000m、5000m、室内1500m、1マイル、3000m、2マイル、5000mの北米・アメリカ記録保持者である〔 http://www.usatf.org/statistics/records/view.asp?division=american&location=outdoor%20track%20%26%20field&age=open&sport=TF/ American Open Outdoor Track & Field Records USA Track & Field 2012年8月12日閲覧〕〔 http://www.usatf.org/statistics/records/view.asp?division=american&location=indoor%20track%20%26%20field&age=open&sport=TF/ American Open Indoor Track & Field Records USA Track & Field 2012年8月12日閲覧〕。2010年に3000m、5000m、2011年に5000m、2012年に室内5000mで自己ベストを更新した。スポンサーはナイキ。身長175cm、体重61kg。
== 経歴 ==
2000年、ラガトにとって初めてのオリンピックであるシドニーオリンピックにケニア代表として出場し、1500mで銅メダルを獲得した。
2001年、エドモントン世界陸上選手権にケニア代表として出場し、1500mで銀メダルを獲得する。
2002年、マドリードで行われたコンチネンタルカップにアフリカ代表として出場し、1500mで金メダルを獲得する。
2004年、2度目のオリンピックであるアテネオリンピックにケニア代表として出場し、ヒシャム・エルゲルージと壮絶なラストスパート勝負を展開するも破れ、銀メダルを獲得する。なお、この際ラガトはすでにアメリカ市民権を獲得しており、メダルの行方等、物議を醸すこととなった。詳しくは後述の国籍変更の欄を参照のこと。
2005年、2006年は国籍変更により世界大会には出場していない。
2007年、ラガトは国籍変更後初めての世界選手権である大阪世界陸上選手権に、1500mおよび5000mのアメリカ代表として出場し1500m、5000mの二冠を達成。この2種目二冠は世界陸上初であった。
2008年、北京オリンピックに出場するも1500mでは準決勝落ち、また5000mでは決勝に進み、4000m付近までは先頭集団で優勝争いを展開するもケネニサ・ベケレのロングスパートに離され9位に終わった。
2009年、ラガトはドイツで行われたベルリン世界陸上選手権に出場、1500mではスパート合戦の中ポケット(中距離走において外側を選手に囲まれてしまった状態)されてしまうも、なんとか飛び出し、銅メダルを獲得する。5000mでは、ケネニサ・ベケレと壮絶な優勝争いを展開するも破れ、銀メダルを獲得した。ラガトは予選で他選手と接触し脛を負傷し、予選後も全く走ることのできないまま臨んだ中でのメダル獲得であった。〔 http://www.runnersworld.com/article/0,7120,s6-243-297--13403-0,00.html/ Bernard Lagat is Not Done Yet Runner's World 2012年8月12日閲覧〕。
2010年、ラガトはカタールドーハで行われた世界室内陸上選手権で3000mに出場し、金メダルを獲得する。35歳での3000mにおける金メダル獲得は世界室内陸上選手権における最年長記録であった。
また同じく2010年、クロアチアスプリトで行われたコンチネンタルカップに北アメリカ大陸代表として出場し、アメリカ人として初となる、3000mと5000mの二冠を達成した。
2011年、韓国で行われたテグ世界陸上選手権に出場し、5000mで2大会連続となる銀メダルを獲得した。(優勝はイギリスモハメド・ファラー。)
2012年、トルコイスタンブールで行われた世界室内陸上選手権の3000mに出場し、金メダルを獲得、見事2連覇を成し遂げた。また、37歳での金メダル獲得は、前回にラガトが樹立した3000mにおける優勝者の最年長記録(35歳)を更新するものであった。
同じく2012年、ラガトはアメリカのオリンピック選考会である米選手権に出場、残り100mでスパートを仕掛けるもゲーレン・ラップに残り20m付近で逆転を許し、2位に終わるもオリンピックの出場権を獲得した(同国は3位までが代表に決定)。そして、自身にとって4回目のオリンピックである、ロンドンで行われたオリンピックの男子5000mにアメリカ代表として出場した。決勝では、スローペースとなりスパート合戦となる中、接触もあったものの4位に入賞した。
同年12月に38歳を迎えるラガトだったが、現役続行を表明した。〔 http://tucsoncitizen.com/arizona-news/2012/08/11/bernard-lagat-barely-misses-bronze-in-london/ Bernard Lagat barely misses bronze in London tucsoncitizen.com 2012年8月12日閲覧〕2016年のリオデジャネイロ五輪は分からないものの、40歳で迎えることになる、2015年の世界選手権には出る可能性はあるとしている。
2013年、ロシアモスクワで行なわれたモスクワ世界陸上選手権に出場した。優勝候補のモハメド・ファラーのスパートに引き離され、6位に終わっている。
2014年、ラガトは39歳という年齢を感じさせないレース運びとスパートで、ゲーレン・ラップら強豪を抑え同年の室内米選手権で優勝、ポーランドソポトで行なわれた世界室内陸上選手権の3000m代表を勝ち取っている。そして、前回優勝者として迎えたソポト世界室内陸上選手権では無駄のないレース運びで、優勝候補であった19歳のカレブ・ディクのスパートに対応するも及ばず、2位入賞という結果となった。
同じく2014年、ラガトはモロッコマラケシュで行なわれたコンチネンタル・カップに北アメリカ大陸代表として出場した。これも同じく前回優勝者として迎えたが、残り400mで、同じく同年の世界室内陸上選手権を制したカレブ・ディクにスパートで引き離される苦しい展開となった。しかし3位争いをしていたエリトリアのアブラル・オスマンを引き離し、銅メダルを獲得している。後にラガトは、3位争いをしていた選手がかつて自分が19歳であった時に生まれた選手であることを知り、驚きを隠せなかったとしている。〔 http://www.runnersworld.com/print/248931/ The Master: Bernard Lagat runnersworld 2015年2月11日閲覧〕
2015年、40歳を迎えたラガトであるが、ボストンで行なわれたニューバランス・インドア・グランプリの3000mに出場している。結果は、惜しくもエチオピアデジェン・ゲブレメスケルに敗れる2位であったが、7分48秒33という記録はマスターズ40歳代の従来の記録8分01秒44を大幅に更新するマスターズ世界新記録であった。最後の200mも25秒台で上がっており、相変わらず衰え知らずな様子を見せている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バーナード・ラガト」の詳細全文を読む




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