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バディーガイ : ミニ英和和英辞書
バディーガイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

バディーガイ ( リダイレクト:バディ・ガイ ) : ウィキペディア日本語版
バディ・ガイ[ちょうおん]

バディ・ガイ(Buddy Guy, 1936年7月30日 - )はアメリカ合衆国ルイジアナ州レッツワース出身のブルースギタリストシンガー。本名は、ジョージ・ガイ。1958年のデビューからシカゴのシーンで活躍し、いまやシカゴ・ブルースの第一人者的存在となった。テンションの高いギター・プレイはロック・ファンにも幅広く受け入れられており、最も成功したブルース・ミュージシャンのひとりである。女性ラッパーとして活動しているショウナ(本名:ラショウナ・ガイ)は娘。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第30位、2011年の改訂版では第23位。2005年にロックの殿堂入りを果たした。
== 来歴 ==
1950年代にルイジアナ州バトンルージュで、地元のミュージシャン、ビッグ・パパ・ティリーのバンドで活動していたバディは、シカゴのチェス・レコードと契約すべく、ラジオ局WXOKのDJだったレイ・メドウズの協力を得て、1957年に2曲のデモ・レコーディングをする。
翌1958年、シカゴへ移住。しかしながらチェスには送ったはずのデモ・テープは届いていなかったことを知った。同年、オーティス・ラッシュの紹介でコブラ・レコードと契約。傘下のアーティスティック・レコードからシングル"Sit And Cry (The Blues)" b/w "Try To Quit You Baby"でデビューを果たす。このセッションではバディは歌のみで、ギターはオーティス・ラッシュが弾いた。
1959年にコブラ・レコードが倒産すると、彼は晴れてチェスと契約する。チェスの初セッションは1960年。同レーベルには1967年まで在籍し、"First Time I Met The Blues"を始め、彼の個性が開花した名作を多く残した。1960年12月16日に行われた2度目のセッションには、後のパートナーとなるジュニア・ウェルズも参加している〔CD『アイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ザ・ウッズ』(MVCM-22009)英文ブックレット内クレジット〕。逆に1965年には、バディはジュニアのアルバム''Hoodoo Man Blues''のセッションに参加した。チェス時代は、自らの作品だけでなく、マディ・ウォーターズハウリン・ウルフらチェスの大物たちとのセッションもこなした。
チェスとの契約が終了するとバディは1968年ヴァンガード・レコードと契約。同年、アルバム''A Man And The Blues''をリリースする。同レーベルでは計3枚のアルバムを制作した。
一方、1960年代後半からジュニア・ウェルズとデュオでの活動もするようになった。デュオ名義の作品としては''Buddy And The Juniors''(1969年)、''Buddy Guy & Junior Wells Play the Blues''(1972年)などがある。後者には、エリック・クラプトンJ・ガイルズ・バンドも参加した〔。1975年3月には、「第2回ブルース・フェスティバル」出演のため、デュオで来日。バンドには、バディの弟でギタリストのフィル・ガイも加わった。
1970年代、バディはこの他、JSP、ブラック・アンド・ブルーなどからアルバムを発表した。しかしながら1980年代に入ると、活動の場は減ってしまう。1987年ジャパン・ブルース・カーニバル出演のため、再びジュニアとともに来日を果たしているが、本格的な活動を再開するのは、1990年代に入ってからのことだった。また、1989年にはシカゴでブルース・クラブ「」を開店し〔、この店は後に『』誌によって「ベスト・ブルース・クラブ」に選ばれるほどの名所となっていく。
1991年、シルバートーンから''Damn Right, I've Got The Blues''をリリースする。このアルバムは、前年に亡くなったスティーヴィー・レイ・ヴォーンに捧げられた曲も収録され、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン、マーク・ノップラー等が参加したことも手伝って、ロックファンからも注目を集めた。このアルバムはグラミー賞最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞し〔Buddy Guy | Awards | AllMusic 〕、以後バディの人気は急上昇し、世界各地のフェスティバルなどでも引っ張りだこになる。日本にもブルース・カーニバルを始め、たびたびツアーで訪れるようになった。2006年7月には、ウドー・ミュージック・フェスティバルへの出演もしている〔ウドー・ミュージック・フェスティバル公式サイト 〕。
2006年、ローリング・ストーンズが行ったビーコン・シアターでの慈善コンサートのライヴにゲスト出演し、マディ・ウォーターズの「シャンペン・アンド・リーファー」を演奏した。この模様は、ストーンズのライヴ・アルバム「シャイン・ア・ライト」、及びマーティン・スコセッシ監督による映画「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」にも収録されている。
2008年デレク・トラックススーザン・テデスキ、エリック・クラプトン、ロバート・ランドルフらをゲストに迎えたアルバム''Skin Deep''を発表した。
77歳の誕生日を迎えた2013年7月30日には、エアロスミスのメンバー3人やキッド・ロックらがゲスト参加したアルバム''Rhythm & Blues''をリリースし、全米27位のヒットを記録した〔。続く2015年のアルバム''Born to Play Guitar''には、ビリー・ギボンズ(ZZトップ)、キム・ウィルソン(ファビュラス・サンダーバーズ)、ジョス・ストーンヴァン・モリソンがゲスト参加した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バディ・ガイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Buddy Guy 」があります。




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