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ノーマン・ミード : ミニ英和和英辞書
ノーマン・ミード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ノーマン・ミード ( リダイレクト:ジェリー・ラゴヴォイ ) : ウィキペディア日本語版
ジェリー・ラゴヴォイ[ちょうおん]
ジョーダン・"ジェリー"・ラゴヴォイ(Jordan "Jerry" Ragovoy、1930年9月4日 - 2011年7月13日Music.aol.com 〕〔Thedeadrockstarsclub.com 〕)は、アメリカ合衆国ソングライター音楽プロデューサー
ラゴヴォイの作品で最も知られているのは、ノーマン・ミード(Norman Meade)という筆名で発表した「タイム・イズ・オン・マイ・サイド 」で、もともとはカイ・ウィンディングや、ソウル歌手のアーマ・トーマスがレコード化していたが、ローリング・ストーンズが取り上げたことで有名になった。ラゴヴォイはまた、「ステイ・ウィズ・ミー (Stay with Me)」の作者でもあるが、オリジナルをロレーン・エリソン(Lorraine Ellison)がレコーディングしたこの曲は、2007年第49回グラミー賞の授賞式でメアリー・J. ブライジによって(メドレーに組み込まれて)歌われた。
ラゴヴォイは、東海岸ソウルミュージックを陰で支えた重要な人物であり、1960年代においてニューヨークフィラデルフィアから生まれたソウルの古典的名作とされるレコードに関わって、しばしばゴスペル的な感覚のある曲を、単独ないし共作で書いていた〔Allmusic.com biography by Richie Unterberger 〕。代表的作品としては、ガーネット・ミムズの「クライ・ベイビー」、アーマ・フランクリンの「心のかけら (Piece of My Heart)」、の「愛は生きているうちに (Get It While You Can)」といった、後にジャニス・ジョプリンがカバーした曲や、上述の「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」、「ステイ・ウィズ・ミー」がある〔。 ラゴヴォイはまた、一流のソウルのレコードに、プロデューサーや編曲者としても関わった〔。
== 経歴 ==
ラゴヴォイは、ペンシルベニア州フィラデルフィアで、ハンガリー出身のユダヤ人検眼士の息子として生まれた。 ラゴヴォイがレコード制作の関わるようになったのは、ザ・キャステラーズ(The Castelles)の1953年の曲「My Girl Awaits Me」が最初だった。
ラゴヴォイは、やフランキー・アヴァロンのヒットを出していたフィラデルフィアのチャンセラー・レコード(Chancellor Records)で働き、1962年Billboard Hot 100の22位まで上昇した The Majors の「A Wonderful Dream」を書いた〔。このころから、ラゴヴォイは、もうひとりの白人ソウル・ソングライター/プロデューサー、バート・バーンズ(Bert Berns)との共作も始めており、1963年Billboard Hot 100の4位まで上昇したガーネット・ミムズ・アンド・ジ・エンチャンターズの「クライ・ベイビー」も、この2人の共作であった〔。
やはりバーンズとの共作である、有名な「心のかけら」は、最初はアーマ・フランクリンによってレコード化されたが、後に、ジャニス・ジョプリンビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)による有名なカバーが出た。1966年から1968年までの間、ラゴヴォイは、音楽プロデューサーソングライターとしてワーナー・ブラザーズ・レコード傘下のロマ・レコード(Loma Records)で働いた。ジャニス・ジョプリンが取り上げたラゴヴォイの曲はほかにも、もともとロマ・レコードからロレーン・エリソンが出した「Try (Just a Little Bit Harder)」、上述の「クライ・ベイビー」、「愛は生きているうちに」、そして「My Baby」がある。ジョプリンが死ぬ前に、ラゴヴォイは、ジョプリンの次のアルバムのために「I'm Gonna Rock My Way to Heaven」(天国までロックし続けていく、の意)を用意していた。この曲はラゴヴォイが2011年7月に亡くなる直前まで録音されることも演奏されることもなかったが、ジョプリンを取り上げたミュージカル『''One Night with Janis Joplin''』(作・演出:Randy Johnson、編曲・音楽監督:Len Rhodes)の中に取り上げられ、演奏された。2011年5月27日オレゴン州ポートランドポートランド・センター・ステージ(Portland Center Stage)でこの作品がプレミア公開初日を迎えたときには、ラゴヴォイも客席にいた。
ラゴヴォイは、ボニー・レイットミルクウッド(Milkwood)のプロデュースも手がけていた〔。しかし、音楽産業へのラゴヴォイの貢献は、1970年代以降は縮小していった〔。
1973年、ラゴヴォイは、ミュージカル『』からのアルバムで、第15回グラミー賞においてオリジナル・キャスト・ショー・アルバム作曲賞をプロデューサーとして獲得した。
2003年、ラゴヴォイは、再びハワード・テイトと組み、作・編曲、プロデュースを担当して、CD『''Howard Tate Rediscovered''』をリリースした〔Rollingstone.com 〕。
2008年には、エース・レコード(Ace Records)が、『''The Jerry Ragovoy Story: Time Is on My Side''』と題して、ラゴヴォイ作品のコンピレーション・アルバムを出した。
ラゴヴォイは、2011年7月13日に心臓発作により、80歳で亡くなった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェリー・ラゴヴォイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jerry Ragovoy 」があります。




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