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チャーリー・ワッツ : ミニ英和和英辞書
チャーリー・ワッツ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

チャーリー・ワッツ : ウィキペディア日本語版
チャーリー・ワッツ[ちょうおん]

チャールズ・ロバート“チャーリー”ワッツ(Charles Robert "Charlie" Watts, 1941年6月2日 - )は、イギリスミュージシャンロックバンドローリング・ストーンズドラマー。身長168cm。
デビュー以来、今日までミック・ジャガーキース・リチャーズと共に在籍し続けているオリジナルメンバーの1人である。ジャズに影響を受けた独特のドラミングで、ストーンズの独自性溢れる音作りを永年にわたって支えている。
同バンド以外に、自らが率いるジャズ・バンドでも活動している。
== 経歴 ==
イギリス国鉄貨物列車の運転手であった父チャールズと母リリアンとの間にロンドン北部のイズリントンに生まれ、姉のリンダと共にイズリントン及びキングスベリーにて育つ。
12歳の時に、いとこが持っていたアール・ボスティックの「フラミンゴ」を聴いたのがきっかけでジャズに興味を持ち始める〔〕。初めて買ったレコードビリー・エクスタインだった。1955年に両親からドラムセットを贈られ、ジャズのレコードを収集しながら腕を磨いていく。17歳の頃からジャズ・クラブに出入りするようになる。学生時代は美術フットボールクリケットにも才能を発揮した。1960年までハロウ・アート・スクール(現ウェストミンスター大学)に在籍しており、この頃からクラブなどでプレイするようになった。その後、広告会社に就職しグラフィック・デザイナーとして勤務する一方、ローカル・バンドに参加しカフェやジャズ・クラブなどでプレイするという日々が続いた。このため、ストーンズのオリジナル・メンバーの中ではブライアン・ジョーンズと並んで最も長い活動歴を持つ。
いくつかのバンドでプレイしていく過程で、1959年アレクシス・コーナーとの交流が始まる。コーナーとの知己を経たチャーリーは、紹介からいくつかのバンドのドラマーとしてのキャリアが始まった。1960年頃のことである。その後1961年にドラムの腕を見込まれてコーナーが結成したバンド、への加入オファーを受けたが、当時のチャーリーは仕事の関係でデンマークに滞在していた為、これを断っている。しかし翌年1962年にロンドンへ戻った際に再びオファーを受け、これを承諾。これまで短期的なバンドでしか活動していなかったチャーリーは、このバンドから固定メンバーという立場で活動を行うようになる。ブライアン・ジョーンズも同バンドのライブに参加しており、ミック・ジャガーキース・リチャーズともここでの活動で知り合っている。特にキースとの出会いは大きく、ジャズ一辺倒だったチャーリーがシカゴ・ブルースR&Bといったジャズ以外の黒人音楽を聴くようになるきっかけとなった。
1963年にメンバーからの説得により、ローリング・ストーンズのデビューのわずか数カ月前に加入。ようやくストーンズのオリジナル・ラインナップが揃った。チャーリーはストーンズに加入した際、「数カ月か、もって2年かそこらで終わるだろう」と思ったのでメンバーになったのだと語っている。
1964年10月14日に、シャーリー・アン・シェパードと結婚、まだストーンズの活動が軌道に乗る以前のことであった。初の全米ツアーでは、妻と離れているのが寂しくて泣いたという愛妻家の一面も持つ。1968年3月18日には、娘のセラフィーナを授かっている。
1980年代にはドラッグ中毒に陥り、同時期にアルコール依存症も患っている。その影響で『ダーティ・ワーク』のレコーディング進行は困難を極め、リリース後のツアーも行なわれなかった。当時のエピソードのひとつに「こいつが飛ぶかどうか試そう」と言ってテレビをホテルの7階から放り投げたことがある。
1986年より、ソロワークとして自らのジャズ・バンドを率いて精力的な活動を展開している。2000年にはジム・ケルトナーと共同で、リスペクトするジャズ・ドラマーへのトリビュート・アルバムをリリースした。2001年秋には、チャーリー・ワッツ・アンド・ザ・テンテットとして来日公演も行なっている。
2004年6月に喉頭癌と診察され、放射線治療を行った。以来は小康状態である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「チャーリー・ワッツ」の詳細全文を読む




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