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スコットランド議会 : ミニ英和和英辞書
スコットランド議会[すこっとらんどぎかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
議会 : [ぎかい]
 【名詞】 1. Diet 2. congress 3. parliament 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

スコットランド議会 : ウィキペディア日本語版
スコットランド議会[すこっとらんどぎかい]

スコットランド議会(スコットランドぎかい、、、)〔スコットランド語において「スコットランドの」を表す言葉はScots である〕は、スコットランドの首都エディンバラのホーリールード (Holyrood) に置かれた、スコットランドの内政権を委譲された一院制立法府である。非公式にホーリールードと呼ばれ、民主的に選出された129名のスコットランド議会議員で構成されている。議員は任期4年で、小選挙区比例代表併用制により選出される。73人が地理的に区分された選挙区から小選挙区制で選出され、さらにそれぞれ7人の議員を選出する8つの地区から比例代表制で合計56人を選出する。最近の総選挙は2011年5月5日に実施された。
もともとのスコットランド議会 (Parliament of Scotland) は、独立国であったスコットランド王国の立法府で、13世紀初めから1707年の連合法によってイングランド王国と合併してグレートブリテン王国を形成するまでの間存在した。イングランドとスコットランドの合併の結果として、スコットランド議会もイングランド議会 (Parliament of England) と合併して、ロンドンウェストミンスターに所在するグレートブリテン議会 (Parliament of Great Britain) となった〔。
スコットランドの人々が議会設置に同意した1997年の住民投票を受けて、現在のスコットランド議会は (Scotland Act 1998) により法律制定権の委譲を受けて設立された。この法律は、スコットランド議会の立法権限の範囲、つまり議会が法律を作ることのできる分野を規定している。この法律で明示された分野の立法権限はイギリスの議会に留保され、明示的に示された以外のすべての分野は自動的にスコットランド議会の責任範囲となる。イギリスの議会はスコットランド議会への委譲事項を修正する権限を保持し、スコットランド議会が法律を作ることのできる分野を広げたり狭めたりすることができる〔Murkens, Jones & Keating (2002) pp11〕。スコットランド議会の最初の開催は1999年5月12日のことであった。
== 歴史 ==
スコットランド王国とイングランド王国が合併した1707年連合法以前は、スコットランドには三部会 (Three Estates) として知られる独立した立法府が存在した。合併に関して当初スコットランド側は、立法権を委譲された議会をスコットランドに残すことを提案していたが、これはイングランド側の交渉者に受け入れられなかった。
その後300年にわたり、スコットランドはウェエトミンスターのイギリス議会から直接統治されてきた。スコットランド議会が存在しないことは、スコットランドにとってのナショナルアイデンティティーの重要な問題であり続けてきた〔。権限を委譲された議会の設立提案は1914年以前にすでになされていたが、第一次世界大戦の勃発により棚上げとなった〔。1960年代末にスコットランドのナショナリズムが大きな盛り上がりを見せ、自治か完全な独立を要求する動きが広まると、その当時のハロルド・ウィルソン労働党内閣は''イギリスの国制''(Constitution of the UKすなわち連合王国の法的基本構成のこと。成文法としてのconstitutionは「憲法」と呼ばれる。イギリスの憲法を参照)について検討するキルブランドン委員会 (Kilbrandon Commission) を1969年に設置することになった〔。委員会の主要な目的の1つは、統一された連合王国の国家内で、よりスコットランドの自治を強められる方法を検討することであった〔。キルブランドンは1973年に、直接選挙により選ばれスコットランド地域内のほとんどの問題について立法する権限のあるスコットランド議会 (Scottish Assembly) を設置することを推薦する報告を出した。
この頃、北海において北海油田が発見され、スコットランド国民党により「これはスコットランドの石油だ」(It's Scotland's oil) というキャンペーンが繰り広げられると、スコットランドの独立とスコットランド国民党への支持が高まることになった。スコットランド国民党は、北海油田からの利益はスコットランドに十分還元されていないと主張した〔。こうした一連の出来事により、ウィルソン首相は1974年に、何らかの立法権限委譲を公約することになった〔。しかし、1978年まで最終的なスコットランド議会の立法権に関する提案がイギリス議会を通過することはなかった。1978年スコットランド法 (Scotland Act 1978) の規定では、1979年3月1日に実施される住民投票においてスコットランドの有権者の過半数が賛同すれば、エディンバラに選挙によって選ばれる議会を設置することになっていた。1979年の住民投票では、権限委譲されたスコットランド議会を設立する件は否決された。投票の52%は賛成であったが、有権者の32.9%が投票しなかった、あるいはできなかったために、この件を可決するために必要であると考えられた有権者総数の40%の賛成に達しなかったのである。
1980年代から1990年代を通じて、スコットランド議会を望む意見は高まっていったが、これは部分的には、スコットランドでは保守党の議員をほとんど選出していなかったにも関わらず、イギリスの政権はこの時期ずっと保守党であったためであった〔。1979年の住民投票での否決の結果として、スコットランド議会を求める運動 (Campaign for a Scottish Assembly) が圧力団体として設置され、これが1989年に多くの団体、政党、産業界の代表が参加してスコットランド国制会議 (Scottish Constitutional Convension) の設立につながった。1995年に権限委譲の詳細な計画を出版し、スコットランド国制会議はスコットランド議会の構成の基本のほとんどを提供した。
権限委譲は、1997年5月にトニー・ブレアの下で政権を取った労働党の政策要綱の一部となった〔。1997年9月、スコットランドの有権者による住民投票で、課税決定権のある新しいスコットランド議会をエディンバラに設立する件が過半数の賛同を確保した。議会の選挙は1999年5月6日に実施され、同年7月1日に権限がウェストミンスターのイギリス議会から新しいスコットランド議会へ委譲された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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