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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
スエヒロジョウオーは日本の競走馬、繁殖牝馬。1992年の阪神3歳牝馬ステークスを16頭立ての9番人気で勝利し、2着に入った12番人気マイネピクシーとの馬連が120,740円というGIレース(当時)史上最高の払戻金額となった〔『優駿』1993年2月号、日本中央競馬会、138頁〕。同年のJRA賞最優秀3歳牝馬〔。 == 戦績 == ※馬齢は旧表記。 1992年6月21日に函館の新馬戦で、鞍上に田面木博公を迎えデビュー。394kgという牝馬としても小柄な馬体から12頭立て10番人気という低評価で、8着に敗れる。2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げたが、その後2戦は良い所なく大敗。しかし5戦目のきんせんか賞で1番人気のワコーチカコを抑え、単勝オッズ100.6倍という最低人気で勝利する。 続いて迎えたGI阪神3歳牝馬ステークスでは、スローペースになったレースで後方に控えると、直線で一気の差し脚を見せ、9番人気の低評価をはね返しての勝利を収めた。2着にも12番人気のマイネピクシーが入り、馬連払戻金額120,740円はGIレース史上最高配当となった(現在でも馬連ではGI最高配当)〔。なおこの時の馬体重390kg〔はカネヒムロの優駿牝馬優勝時の馬体重384kgに次ぐ、史上2番目の軽量馬体重GI勝利である。この勝利によってスエヒロジョウオーはこの年のJRA賞最優秀3歳牝馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牝馬)に選出された〔。 しかし4歳になってからは活躍を続けることができなかった。桜花賞で6着の後、オークストライアル・4歳牝馬特別(東)に向けての追い切り当日、他馬の放馬のあおりを受けてスエヒロジョウオーも放馬、肩を20針以上も縫う大怪我を負い、4歳牝馬特別と優駿牝馬(オークス)を回避。ここで引退の話もあったが、陣営は諦めきれず、秋のエリザベス女王杯に出走させるためにスエヒロジョウオーを休養させて現役を続行した。 秋になってエリザベス女王杯トライアルのサファイヤステークスから戦線復帰したが、結局秋の成績は3戦してサファイヤステークスの9着が最高で、ローズステークス10着、本番のエリザベス女王杯でも12着と力を発揮することができず、このレースを最後に競走馬を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スエヒロジョウオー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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