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ジョン・デミャニュク : ウィキペディア日本語版
ジョン・デミャニュク

ジョン・デミャニュク: John Demjanjuk)、生誕時はイヴァン・デミャニュクウクライナ語: Іван Демьянюк)(1920年4月3日 - 2012年3月17日)は、元ソ連赤軍軍人、ナチス・ドイツの強制収容所のウクライナ人看守。姓については、デミャニュークと書かれることもある。
== 略歴 ==

=== 捕虜から看守へ ===
ポーランド・ソヴィエト戦争さなかの1920年3月17日、ウクライナジトームィル州ベルドィーチウの農家の家庭に生まれる〔formerly Kiev Governorate, presently Koziatyn district, Vinnytsia Oblast〕 。12歳の時、ホロドモールを経験したとされ〔Raab, Scott. (19 March 2012). "John Demjanjuk: Things We Are Left to Tend to Think" . ''Esquire''. Retrieved 25 April 2012 from:〕、デミャニュクはこれが彼自身に後々まで大きなトラウマを残したと主張しているが、2009年に彼の故郷で行われたインタビューによると、デミャニュクは当時、近所のユダヤ人家族と同居して満足な生活が送れていたという証言がある〔Anger simmers in Demjanjuk's home village , The Local (20 December 2009)〕。
成人後のデミャニュクは、当初集団農場トラクター運転手として働いていたが、ポーランド侵攻後の1941年にソ連赤軍に入隊。独ソ戦開始後、1942年にドイツ軍の捕虜となる。その後、ナチスの「ボランティア」として働くようになり、ナチスのソビボル強制収容所マイダネク強制収容所フロッセンビュルク強制収容所で看守として勤務するようになる。
45年末、ロシア解放軍に入隊〔Rosenbach, Marcel (18 November 2008). Sixty Years Later, Alleged Nazi Guard May Stand Trial . ''Der Spiegel.''〕。
1952年2月9日、家族とともに米海軍輸送船「ゼネラル・W・G・ハーン号」(en)にてドイツからアメリカ合衆国に亡命、ニューヨークへと移住した〔。1958年アメリカ国籍を取得し、その際名前を「イワン」から英国風の「ジョン」へと改名した。
1975年、ウクライナ地元の新聞社によって作成された、コラボラトゥールの疑いのある在米ウクライナ人のリストに登録された〔Semotuik, Andrij A. (21 March 2012) "In memory of John Demjanjuk" . ''Kyiv Post''〕 。この時、リストを作成したミハエル・ハヌシャク (Michael Hanusiak) は、既に彼の看守のIDカードを入手していた〔Lawrence Douglas (30 November 2009), "Ivan the Recumbent, or Demjanjuk in Munich:Enduring the “last great Nazi war-crimes trial” , ''Harper's Magazine''〕 。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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