翻訳と辞書
Words near each other
・ シャーロック・ホームズとワトソン博士
・ シャーロック・ホームズとワトソン博士 (映画)
・ シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険
・ シャーロック・ホームズと賢者の石
・ シャーロック・ホームズの事件簿
・ シャーロック・ホームズの冒険
・ シャーロック・ホームズの冒険 (1970年の映画)
・ シャーロック・ホームズの冒険 (テレビドラマ)
・ シャーロック・ホームズの回想
・ シャーロック・ホームズの宇宙戦争
シャーロック・ホームズの帰還
・ シャーロック・ホームズの復活
・ シャーロック・ホームズの思い出
・ シャーロック・ホームズの思出
・ シャーロック・ホームズの最後のあいさつ
・ シャーロック・ホームズの生還
・ シャーロック・ホームズの秘密ファイル
・ シャーロック・ホームズの素敵な挑戦
・ シャーロック・ホームズシリーズ
・ シャーロック・ホームズシリーズ関連作品


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シャーロック・ホームズの帰還 : ミニ英和和英辞書
シャーロック・ホームズの帰還[しゃーろっく ほーむずのきかん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロック : [ろっく]
  1. (n,vs) (1) lock 2. (2) rock 3. (P), (n,vs) (1) lock/(2) rock
帰還 : [きかん]
  1. (n,vs) repatriation 2. return 3. feedback 

シャーロック・ホームズの帰還 : ウィキペディア日本語版
シャーロック・ホームズの帰還[しゃーろっく ほーむずのきかん]

シャーロック・ホームズの帰還』(シャーロック・ホームズのきかん、''The Return of Sherlock Holmes'')は、イギリスの小説家、アーサー・コナン・ドイルによる短編集。シャーロック・ホームズシリーズの一つで、五つの短編集のうち3番目に発行された作品である。1905年の発行で、イギリスの『ストランド・マガジン』1903年10月号から1904年12月号にかけて発表された13の短編を収録している〔ジャック・トレイシー『シャーロック・ホームズ大百科事典』日暮雅通訳、河出書房新社、2002年、151-152頁〕。
『ストランド・マガジン』連載時にはシドニー・パジェットが挿絵を担当した。
日本語版では、訳者により『シャーロック・ホームズの生還』『シャーロック・ホームズの復活』などの訳題も使用される。
== ホームズの死と復活 ==
ドイルは『ストランド・マガジン』1893年12月号に発表した「最後の事件」でシャーロック・ホームズをライヘンバッハの滝に葬り、シリーズを終了させた。「最後の事件」発表後、読者や出版社からはホームズを復活させるよう幾度となく要望がなされたが、ドイルにその意思はなかった。新鮮なプロットを追い求めるのにうんざりしていたこと、ホームズシリーズばかりが注目を集め、自身の他の分野の著作が埋もれてしまっていることなどから、これ以上シリーズを書き続けるのは間違いだと考えていたためである〔『ティット・ビッツ』1900年12月15日号に掲載されたインタビュー「シャーロック・ホームズの真相」 - コナン・ドイル『まだらの紐 ドイル傑作集1』北原尚彦・西崎憲編、東京創元社〈創元推理文庫〉、2004年、332-340頁〕。1896年のスピーチ〔作家クラブでのスピーチ。『クイーン』誌1896年7月4日号に掲載された。〕では、ホームズを殺したのは自己防衛のための殺人であり、もしホームズを殺していなかったらホームズのほうが自分を殺しただろう、と述べている〔コナン・ドイル著、リチャード・ランセリン・グリーン注・解説『シャーロック・ホームズ全集 第6巻 シャーロック・ホームズの帰還』小林司・東山あかね、高田寛訳、河出書房新社、1999年、659-686頁〕。
しかし、ホームズ復活の可能性は皆無というわけではなかった。1896年、ドイルは「競技場バザー」というシリーズの短いパロディを書く。1897年、ホームズを主役とする芝居の台本を書き、これは後にウィリアム・ジレットが台本を書き直して舞台化された。1898年には『ストランド・マガジン』に連載していた『炉辺物語』に含まれる短編「時計だらけの男」と「消えた臨時列車」の作中に、ホームズらしき人物を登場させている〔「競技場バザー」「時計だらけの男」「消えた臨時列車」はシリーズの外典とされている。〕。そして1901年、ドイルはホームズの登場する新作、長編『バスカヴィル家の犬』を『ストランド・マガジン』1901年8月号から1902年4月号にかけて連載した。事件の発生は「最後の事件」より前であり、ホームズが生き返ったわけではないが、再登場したホームズは以前と同様の優れた腕前を見せ、読者の変わらぬ支持を集めたのであった〔。
1903年、依然としてホームズの復活を拒絶していたドイルに対し、アメリカのコリアーズ社がシリーズの1作につき4000ドルという破格の提案をする。ついにドイルはこの提案を受け入れ、新たに8編の物語を書くという契約を結んだ。ドイルは執筆を開始し、ホームズが死んでいなかったことが明かされる「空き家の冒険」をはじめとする8編が、同年9月までに完成する。そして、短編としては9年10ヶ月ぶりとなる『シャーロック・ホームズの帰還』の連載が、アメリカの『コリアーズ・ウィークリー』1903年9月26日号とイギリスの『ストランド・マガジン』1903年10月号にて開始されたのであった。1903年の秋、ドイルはボーター選挙区で推薦を受けて政治活動を行なったが、翌年になると執筆に戻り、4編を追加で書き上げた。
さらに、ドイルは連載の契約とは別に、サミュエル・シドニー・マックルーア〔マックルーアは短編の版権を取得してアメリカの新聞各紙に配信するなど、ドイルと緊密な関係にあった。〕と執筆の約束をしていた。マックルーアは短編の新連載か中編を希望していて、12編の新連載に対しては75000ドルを提示した。しかし、プロットを使い切ったと考えていたドイルは、再びシリーズを終了させる作品として執筆することにした。こうしてホームズを引退させる短編「第二の汚点」が執筆されたが、ホームズの引退はその死ほどの関心は得られなかった。「第二の汚点」は契約の問題などから、最終的には13編目の連載作品として『コリアーズ・ウィークリー』と『ストランド・マガジン』で発表されることになった。『シャーロック・ホームズの帰還』は全13編の連載となり、1905年に単行本として発行された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャーロック・ホームズの帰還」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.