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サッチー騒動 : ミニ英和和英辞書
サッチー騒動[どう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
騒動 : [そうどう]
  1. (n,vs) strife 2. riot 3. rebellion 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 

サッチー騒動 ( リダイレクト:ミッチー・サッチー騒動 ) : ウィキペディア日本語版
ミッチー・サッチー騒動[みっちー さっちーそうどう]
ミッチー・サッチー騒動(ミッチー・サッチーそうどう)は、1999年浅香光代(ミッチー)と、野村沙知代(サッチー)との間の確執から派生した一連の舌戦、批判合戦である。
当時共に年齢70歳近かった女性2人が繰り広げた口舌鋒は、写真週刊誌や民放各局のワイドショーを中心とするマスメディアにとっての格好のネタとなった。また、報道は沙知代に対するバッシングの様相を呈するようになったことから、単に「サッチー騒動」とも呼ばれる。
== 概要 ==
騒動の発端は1999年3月31日、浅香がそれまでレギュラー出演し、その日が最後の出演であったTBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド』内で、東京都知事選挙に絡んで沙知代が立候補した1996年第41回衆議院議員総選挙の結果に基づき、次点だった沙知代に繰り上げ当選の可能性が出たことに対し、沙知代を「あんな人はもう嫌。引っ叩いてやりたい」「何が代議士よ。挨拶もろくにできないのに何考えてんだ。税金の無駄遣い。笑わせるんじゃないってんだよ!」「テレビの若い人や運転手を『馬鹿野郎』と怒鳴りつけるなど弱い者いじめが過ぎる。あんな女を番組に起用するから増長する」などと痛烈に批判したことに始まる(この時、さらに沙知代の写真を破り捨てるという行動をした)〔http://news.livedoor.com/article/detail/10850508/ チョベリグニュース 2015年11月19日〕〔『ZAKZAK』1999年4月1日更新〕。背景には、その1年前まで浅香が沙知代と共演していた舞台で生じた確執があった。放送内で浅香は沙知代が舞台の稽古をさぼったことで不満を持っていたところ、沙知代に「挨拶がしっかりしていない」「横柄な振舞」などと批判されたと主張、受けた批判に対して「馬鹿言ってんじゃないわよ!」「一体何様のつもりだってぇの!?」と一喝した。この発言は多くの聴取者に衝撃を与えた(当初、光代と沙知代の仲睦まじい競演で話題を呼んでいた)。浅香の批判を受けた沙知代が4月6日大阪市内のホテルでの講演会にて「どうせ売名行為でしょ」「金持ち喧嘩せずよ」とやり返したことが火に油を注ぎ、浅香は内縁の夫である世志凡太をかつぎ出して反撃した。
写真週刊誌や民放各局のワイドショーなどがこの騒動を取り上げ始めると、これに乗じるかたちで各芸能人・著名人が沙知代に対してのバッシングを行うようになる。渡部絵美(元フィギュアスケート選手。1999年1月にハワイ滞在中に初対面の沙知代から息子のいる前で「あんた、醜いわね」と言われたことをテレビで告白〔渡部絵美、サッチー批判で番組降板、『サンケイスポーツ』1999年4月24日付〕)や十勝花子神田うのデヴィ・スカルノ夫人、美輪明宏(沙知代に舞台チケットを渡すも2回連続ドタキャンされ、絶縁したことを告白)、落合信子落合博満夫人。光代寄り・沙知代批判派の中において、騒動が長引くに連れ、当時の関連主要人物の1人としてテレビ番組にひっぱりだこであり、アクの強いキャラクターの中で、主に正論を発する役割を担った)、美川憲一ミッキー安川(沙知代の夫である野村克也が監督を務めていたヤクルトスワローズが優勝した際、その優勝パーティーの司会を依頼されたものの、その後一切連絡のなかったことを暴露)、瀬川研一(「サッチーに中傷された」と民事訴訟を東京地方裁判所に起こした)、塩月弥栄子(自身の著書で沙知代の実名は出さずとも「Y」というイニシャルを使って、かつて塩月の秘書を務めた沙知代が「印税の一部を自分の口座に振り替えた」などと記述した)、杉浦正胤山東昭子有田芳生などの人物が沙知代に批判を浴びせては浅香寄りの発言をした。一方、沙知代と交友のある細木数子神田川俊郎テリー伊藤などは沙知代を擁護する立場を取った。その後も北島三郎ビートたけし田中眞紀子団鬼六夫人、前田武彦などの芸能人・著名人が続々とこの騒動に参戦、騒動勃発直後の時期に入院(イレウス発症のため)していた病院を退院した鈴木その子も退院会見で2人の騒動に困惑した様子を見せた。世相風刺漫才を得意とする爆笑問題がこの件をそのネタにする場面もあった。沙知代は浅香のことを「女剣劇」と罵っていた。
有田については、沙知代から講演会の場で名指しで非難されたこともある。浅香寄りであり、沙知代の学歴詐称は問題視したものの、「ミッチーは周りに押されてやってるのは腑に落ちない」「渡部絵美や十勝花子が騒ぐのはやな感じ」と浅香並びに浅香派芸能人への苦言も行っていた〔http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/4642/sp7-3.htm〕。
マスコミの報道は益々過熱し、連日のようにこの騒動が報道された。1999年春から夏にかけて週刊誌の苛烈な沙知代バッシングが続いた〔「野村沙知代『サッチーはなってはいけない人間の見本』『売名行為』発言に浅香光代、血圧上昇 元事務所従業員Mさんがあかす悪業の日々」『週刊女性』1999年4月27日号〕〔「メガトンスクープ!野村沙知代身内3人が次々と怪死!近親者が語る恐るべき事実上」『週刊女性』1999年6月8日号〕〔「サッチーよ!家政婦は見ていた!寝室にバット、牛肉代を払えから夫婦の関係までを全告白」『女性セブン』1999年7月8日号〕〔「野村沙知代?元恋人″が口ごもる『援助交際!』守銭奴ぶり奔放な男関係...彼女が葬ったすべての過去を知る男性は」『週刊女性』1999年7月6日号〕〔「学歴詐称だけじゃない!サッチー10大疑惑の真相!」『女性自身』1999年7月6日号〕〔「『沙知代に殺される!』あの野村監督が悲鳴をあげて逃げ出した夜 国民的疑問!知将はなぜ彼女を妻にしたのか?」『女性セブン』1999年7月8日号〕。沙知代は天下の極悪人扱いを受けたが、大半の疑惑が噂や憶測の域を出ないものや、単なる見解の相違に過ぎないものも少なくなかったが、それらが事実であるかのように連日報じられた。しかし、浅香は沙知代を公職選挙法違反で告発したこと(後述)や最終的には沙知代の実弟である伊東信義や息子であるダン野村(現:団野村)、ケニー野村までが沙知代を批判したこともあり、騒動の方向性は熟女バトルから沙知代バッシングへと徐々に変わっていった。この騒動の中、神田川がデヴィ夫人に対し番組内で侮辱する発言を行いデヴィ夫人が反論、神田川を侮辱罪で告訴すると表明。後日、神田川が謝罪する事態が起きた。神田川は浅香・沙知代双方と親交が深く、騒動参加の経緯とその結果については「2人に仲良くしてもらおうと思って入ったのに、逆に失敗」と述べている。仲裁として2人にフグ鍋セットを送るということもしたが、これを浅香派の人物がワイドショー出演時に「毒を盛った」と発言し、世間から風当たりが悪くなった〔http://blog.yam.com/ddenkabo/article/13136329 Yam天空部落 - 蕃薯藤〕。なお、神田川は後に沙知代擁護から離反した。
十勝はこの時期、交通事故に遭い重傷を負うという出来事があり、これについて沙知代に「天罰が下ったのよ」と罵倒される一幕があった。
1999年6月1日には当時内閣総理大臣小渕恵三ベストドレッサー賞授賞式後、リポーターにこの騒動について質問される場面もあった。
浅香自身は『大沢悠里のゆうゆうワイド』内での沙知代批判は軽い気持ちで行ったもので、最初に取材を受けた時に「もうそのことには触れないで」と、物凄く困ったようにレポーターにお願いしており、あくまでも自分の「失言」として捉えていたようだったが、沙知代批判派の芸能人・著名人が多く登場したことに態度を変え、テレビ出演を増やし、沙知代のことを大々的に批判するようになった。
芸能人・著名人だけではなく、テレビ局をも巻き込んだ騒動であった。日本テレビ系列『おしゃれカンケイ』では、沙知代がゲスト出演した1999年7月4日放送分(出演交渉の段階で沙知代より騒動の真相は番組内で一切聞かないという条件を出していた)のみスポンサーの資生堂が「商品イメージにそぐわない」として提供を降板するという事態が発生した〔「おしゃれカンケイ」3月終了 古舘「報道ステーション」専念、『スポーツ報知』2005年1月15日付〕。番組は当時放送していた日本テレビのドラマの番宣や公共広告機構(現:ACジャパン)のCMで繋いだ。さらにスポンサーなしだったにも関らず、関東地区25.7%、関西地区22.5%の番組史上最高視聴率(関東・関西双方)を獲得した〔ビデオリサーチ社調べ〕。TBS系列『アッコにおまかせ!』では、1999年5月22日放送分に沙知代をゲスト出演させる予定だったが、出演を無断でキャンセルし、スタジオに最後まで現れずに和田アキ子を困らせ、和田との関係が一時悪化するということもあった。1999年6月10日放送のフジテレビ系列『とんねるずのみなさんのおかげでした』内「新・食わず嫌い王決定戦」に沙知代が出演した回は初頭スポンサーの花王が沙知代出演の理由から提供を1度だけ自粛した。1999年6月24日には関西テレビ(一部ローカル局)『快傑えみちゃんねる』への収録をドタキャンしたこともあった。渡部は沙知代がレギュラー出演していたTBS系列『快傑熟女!心配ご無用』に準レギュラーとして出演していたが沙知代を批判したことから同番組のプロデューサーに「番組を挙げて(レギュラー回答者の)サッチーを守っているのに、どうしてあなたはサッチーを悪く言うのか。今後の番組出演はないと思ってほしい」と言われ僅か2回で降板となったことを1999年4月23日放送の日本テレビ読売テレビ系列『ザ・ワイド』で報道され、これに対して渡部はサンケイスポーツの取材に対し4月20日放送分の収録時も沙知代から「きょうは衣装を着てるから、ましね」と言われたことや、「私は事実を言っただけ。子供の前で『あんた、醜いわね』と言われて、子供が傷ついた。(沙知代は)悩んでいる人の相談に答えられるような人じゃない。彼女こそ番組に出てほしくない」と述べた〔。これに対して視聴者からTBSに対し「なぜ渡部を降ろすのか」「サッチーは降板させないのか」といった抗議の電話が殺到、その数は19時までに102本(女性88本、男性14本)に達したという〔。
その他、沙知代が借りた骨董品を未返却にしていること〔1999年4月16日放送のテレビ朝日系列『スーパーモーニング』などで報じられた。当日の新聞ラ・テ欄における同番組の項でも確認できる。〕や、自身のシワ取り手術にかかった代金を滞納していることを治療を受けた美容整形病院から指摘される(治療費として86万円を要求する病院側に20万円に引き下げるよう要求しているとも同年6月下旬頃に報道された〔1999年6月24日放送のフジテレビ系列『情報プレゼンター とくダネ!』より。当日の新聞ラ・テ欄における同番組の項でも確認できる。〕)など様々な方面でも問題を生じさせている。沙知代は騒動勃発後も各地で講演会を続けた(浅香や自身への批判派著名人への口撃も行った。またこれを面白がった人々などにより沙知代の講演会やイベントは大盛況となっていた)一方、講演会の一部がこの影響で中止となることもあった。1999年5月に予定されていた埼玉県狭山市での講演会は中止となったほか、さらに狭山市と同日に千葉県木更津市での講演会をダブルブッキングしていたことが発覚して木更津市側が激怒したということもあった。遂には講演会の会場に警察が出動する事態も発生している〔1999年7月2日放送のフジテレビ系列『2時のホント』より。当日の新聞ラ・テ欄における同番組の項で確認できる。〕。
しかし、時が経つに連れ学歴詐称問題、脱税問題だけに留まらず沙知代のあらゆるプライバシーに関する内容が放送されるようになった。後期には沙知代の実弟である伊東や息子であるダン、ケニーの証言による前夫との関係や沙知代の性格までが逐一放送され、同年5月頃からは沙知代がオーナーを務めていた少年野球チームリトルシニア)・港東ムース(後に解散)での保護者・少年に対する言動・行動(「保護者に持参金や土産を強要する」「退団した少年への仕打ちとして、他のチームや学校に圧力をかけて、その後野球を続けられなくする」「少年に対し、で背中に「バカ」と書いた姿で走らさせる」〔1999年5月12日放送の『ザ・ワイド』より。当日の新聞ラ・テ欄における同番組の項でも確認できる。〕「沙知代がチーム内エース投手の母親に暴行した」〔1999年6月25日放送の『ザ・ワイド』より。当日の新聞ラ・テ欄における同番組の項でも確認できる。なお、この告白はエース投手だった人物の本人談である。〕など不適切な行動をしている)についても放送されるようになった(また、この保護者一同も沙知代批判に参加していった)。一方、テレビ局でも局毎に報道への温度差があり、読売グループである日本テレビは特に沙知代批判に徹していた(後述も参照)。
そんな中2001年12月5日、沙知代が脱税容疑で逮捕(後に有罪判決)されたことで沙知代を擁護する芸能人・著名人もいなくなり、世間的には浅香側の勝利という形でこの騒動は収束した。浅香は沙知代の逮捕直後に会見を行い、その場で「正義は勝つ」と述べた。その他、渡部は「放し飼いで全国を走り回っていた噛む犬が、やっと保護されたわね」、十勝は「(先述の罵倒への返しとして)天罰が下ったのは貴方よ」、デヴィ夫人は「アル・カポネを思いだしますね。法の網を上手くすり抜けて逃げ回り、最後は脱税の罪で投獄されました。まさに悪の権化です」とそれぞれ沙知代の逮捕を支持するコメントをした(ケニーも後の沙知代の有罪判決の際、これらは自著が母親を追い詰めた結果であるとして、「正義が勝った」との感想を述べている〔テレビ朝日系列『スーパーJチャンネル』の報道より〕)。しかし、浅香に対して「大阪に来たら殺す」「何様のつもりだ」などの物騒な電話が約20件寄せられたという〔『スポーツニッポン』2002年1月26日付〕。後に沙知代の夫・克也も浅香に苦言を呈している。一方、克也自身も阪神タイガースの監督を続投することが決まっていたが沙知代の逮捕直後に監督を辞任した〔2014年3月29日、スポーツニッポン「広澤克実の我が道29」より〕〔野崎勝義著、ダメ虎を変えた! ぬるま湯組織に挑んだ、反骨の11年、朝日新聞出版、2011年、88頁。〕。
2002年3月19日、沙知代の初公判を受け浅香が浅草で会見し「嘘で固めた嘘は最後まで通せない。お天道様はお見通しだよ!」とまず語り、テレビでつぶさにチェックしていた立場として、裁判内容に一応納得の表情を浮かべたが、「私としては脱税だけじゃなく、もっといろいろなことを(法廷に)持ってきてほしかった」と注文をした。さらに、「(拘置所内で)自分を主人公にした本を書いているそうだけど、それではちっとも芸能界を辞めたことにならないじゃないの(沙知代は公判の中で「今後、芸能活動はしない」と語っていた。その後、正式に芸能界復帰を果たしている)」「(5月1日の判決について)どうせ執行猶予が付くでしょうが、結果を楽しみにしてますよ」と述べた。
デヴィ夫人は「昭和の女性史に残る悪女」と切り捨て、裁判で見せた反省には「演出よ。しおらしく別人を演じるのは拷問のように思うけれど、(一般人が)想像するような思考の持ち主ではない」とコメント。渡部は「今日はハイハイと、言っても、いつまで続くんだろう。これを逃れたら、違うところで(悪事を)徐々にやるのでは」と懐疑的に語り、元スポーツ選手として克也にも刃を向け、「ノムさんは脳みそが筋肉。スポーツ選手は結婚相手を考えないとね」と皮肉った。十勝は「宗男(鈴木宗男)さんも野村さんも、苦労に苦労を重ねた人。どうして周りの人がブレーキをかけなかったのか残念」と語った〔http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2002_03/g2002032010.html ZAKZAK(2002年3月20日)〕。
ちなみに、1999年9月にも浅香に脅迫電話が相次いでいた。この影響で同年10月13日 - 17日に浅香が予定していた大阪府での一座の公演を中止に追い込まれている(浅香は自宅の玄関先と家の中に監視カメラを設置するといった対応をした)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ミッチー・サッチー騒動」の詳細全文を読む




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