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コンラディン・クロイツァー : ミニ英和和英辞書
コンラディン・クロイツァー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コンラディン・クロイツァー : ウィキペディア日本語版
コンラディン・クロイツァー[ちょうおん]

コンラディン・クロイツァーConradin Kreutzer1780年11月22日メスキルヒジークマリンゲン郊外)) - 1849年12月14日リガ))は、ドイツビーダーマイヤー期を代表するオペラ作曲家指揮者
== 略歴==
父の要求によりフライブルクで法律を学び、かたわらジングシュピールを作曲、学生仲間で上演する。1800年、父の死によって音楽に踏み切り、各地を遍歴ののち、1811年シュトゥットガルトオペラを上演する。1812年宮廷楽長になるも、1816年に辞職する。1818年ドナウエッシンゲンの宮廷楽長に就任する。そして1822年ウィーンケルントナートーア劇場楽長に就任する(1827年まで)。その後も2度務める。1833年、ヨーゼフスタット劇場楽長に就任する。この間、1834年に作曲した『グラナダの夜営』で一躍有名になる。1840年にウィーンを去り、1842年までケルンの市音楽指揮者を務めた。以後はオペラ歌手である娘セシリア・クロイツァーたちの演奏旅行や契約地を転々とし、1849年に末娘の契約地リガにおいて脳溢血で倒れ、この世を去った。オペラのほかに3曲のピアノ協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲などを残している。
== 作品==

* ジングシュピール『エリーとベテリー』(1810年
* オペラ『シュヴァーベンのコンラディン』(1812年
* オペレッタ『フェドーラ』(1812年
* オペラ『リブッサ』(1822年
* オペラ『美しいメルージーネの物語』 (1833年
* オペラ『グラナダの夜営』(1834年
* オペラ『浪費者』(1834年
* オペラ『ブルガリアの公爵夫人』(1849年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンラディン・クロイツァー」の詳細全文を読む




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