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ケルマーン・カラヒタイ朝 : ミニ英和和英辞書
ケルマーン・カラヒタイ朝[あさ, ちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

ケルマーン・カラヒタイ朝 ( リダイレクト:バラク・ハージブ ) : ウィキペディア日本語版
バラク・ハージブ[あさ, ちょう]
バラク・ハージブ(? - 1234年/35年〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、135頁〕)は、13世紀初頭にイランケルマーンで成立したカラヒタイ朝の建国者(在位:1223年 - 1234年/35年)。
バラク・ハージブは契丹中央アジアに建国した西遼(カラ・キタイ)の皇族の出身であるため〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、137頁〕、彼が建てた政権は出自にちなんだカラヒタイの名で呼ばれる〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、8頁〕。また、バラク・ハージブがアッバース朝カリフから与えられた称号より、クトゥルグ・カン家クトゥルグ・スルターン家とも呼ばれる。
1218年に西遼がモンゴル帝国に併合された後、バラク・ハージブと共にケルマーンに定住した一団はイスラームに改宗し、現地に立てた地方政権がケルマーンのカラヒタイ朝の始まりである
。ケルマーンのカラヒタイ朝はモンゴル帝国イルハン朝の属国として、約80年の間中央アジアに存続した。カラヒタイ朝には9人の君主がおり〔、うち2人は女性だった〔Biran, Michal. (2005). ''The Empire of the Qara Khitai in Eurasian History: Between China and the Islamic World.'' Cambridge University Press. 87–89頁〕。
== 生涯 ==
バラク・ハージブは本来西遼の軍人だったが〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、7頁〕、1210年にバナーカトの戦いで西遼軍がホラズム・シャー朝に敗れた時、軍の指揮官を務めていた弟のターヤンクー〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、136頁〕と共にホラズム・シャー朝の捕虜となった。ホラズム・シャー朝に降伏したバラクは侍従(ハージブ)として仕官し、王子ギヤースッディーン・ピール・シャーの下ではエスファハーンの長官を務めた〔。
1219年のモンゴル帝国のホラズム侵攻の後、ギヤースッディーンの廷臣と対立したバラクはインドに滞在する王子ジャラールッディーン・メングベルディーの元に向かう〔。行軍を妨害したグヴァシール(ケルマーン)の長官を破り、グヴァシールの城を包囲した〔。包囲中、バラクはジャラールッディーンに財宝を献上し、彼の娘を娶らせて婚姻を結び、帰順を誓った〔。ジャラールッディーンはペルシアに帰国する際にバラクのグヴァシール長官の地位を認め、やがてバラクの権威はケルマーン州全土に行き渡る〔。
1226年にジャラールッディーンがイラクに転戦した後、バラクは独立を図り、モンゴル帝国に使者を送った〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、21-22頁〕反逆を知ったジャラールッディーンがケルマーンに引き返すと、バラクは堅固な城砦に立て籠もって抵抗し、両者は和解する。ジャラールッディーンとの争いに敗れたギヤースッディーンがケルマーンに亡命すると、バラクは彼とその母親、500人の従者たちを殺害した〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、35頁〕。
後にバラクはイスラームに改宗してバグダードのカリフにスルターンの称号を請求し、「クトゥルグ・スルターン(幸福なスルターン)」の称号を認められる〔ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、135,137頁〕。ジャラールッディーンの死後、モンゴル軍がホラズム軍の残党が拠るスィースターンを攻撃したおり、バラクは彼らに臣従し、老齢の自分の代理として子のルクヌッディーンをモンゴルの宮廷に派遣した〔。ルクヌッディーンの移動中にバラクは没し、甥のクトブッディーンがケルマーンの王位を簒奪した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「バラク・ハージブ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Buraq Hajib 」があります。




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