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カアバ : ウィキペディア日本語版
カアバ

カアバ( または )は、メッカ(マッカ)のマスジド・ハラームの中心部にある建造物で、イスラーム教イスラーム)における最高の聖地とみなされている聖殿である。カアバ神殿(カーバ神殿)とも呼ばれる。カアバの南東角にはイスラームの聖宝である黒石(くろいし)が要石として据えられている。
カアバはもとはイスラーム以前(ジャーヒリーヤ)におけるアラブ人の宗教都市であったメッカの中心をなす神殿であったとされる。
「カアバ(カーバ)」とはアラビア語で「立方体」を意味し、形状はその名の通り立方体に近い(縦にやや長い)。
== 歴史 ==

カアバの歴史は非常に古く、イスラーム以前の時代にはアラビア人の信仰していた多神教の神々の神殿として使われ、アニミズム時代(ジャーヒリーヤ、無明時代)には、360もの神々の聖像が置かれていた。当時のカアバ神殿に祭祀されていた360の神々の最高神はアッラーフであり、救済を司る神として崇められていた。また、アッラートマナートアル・ウッザーという三女神の父とされていた(「三位一体」も参照)。アッラーフを除いた神々の中での最高神がの女神であるアッラート(アッラーフの女性名詞形。アリラト〔
ヘロドトスは次のように言っている。『私の知る限り、ペルシア人の風習は次の通りである。(略)また彼らは日、月、地、火、水を祭る。彼らが太古から祭るのは右のものだけであるが、後になってさらに「アプロディテ・ウラニア(天上の女神)」を祭ることも覚えた。アッシリア人やアラビア人からそれを学んだのである。なおアッシリア人はアプロディーテーのことをミュリッタ、アラビア人はアリラト、ペルシア人はミトラとよんでいる。』〕、アルラトとも)であり〔例えるなら、アッラーフが創業者で初代社長であり、引退して、名目上は一番偉いが実権が無い、会長である。アッラーフの三人娘の内のアッラートが二代目社長であり、実際上の最高責任者である。ムハンマドは引退した会長を引っ張り出して現役に復帰させたといえる。〕、月経を司る五穀豊穣の老婆の女神であった。なお、イスラーム教は太陰暦を採用している。アッラートの「御神体」は、天然ガラスである黒曜石(もしくは隕石由来のテクタイト)でできていると言われており、アニミズム時代は「月からの隕石」と信じられていた。現在この黒石は、カアバ神殿の東南角に鄭重にはめ込まれており、イスラームの巡礼であるハッジにおいてこの石に触れることができれば大変な幸運がもたらされると、イスラーム世界では信じられている。ハッジはイスラーム成立期のアラビア半島での伝承を色濃く残しており、考古学的にも大変興味深いものである。
ムスリム(イスラーム教徒)の伝承によれば、カアバはそもそも神が人類の祖であるアーダム(アダム)とその妻ハウワー(イヴ)に命じて建設させた聖殿であり、その周囲を回ることは天上の神の玉座とそれを巡る天使たちの地上における再現で、神がアーダムに命じたことであるという(旧約聖書の創世記にはカアバ神殿の記述は無い)。しかし最初のカアバの建物はヌーフ(ノア)の時代の大洪水によって失われたとされている。
イスラーム教の聖典『クルアーン』によると、カアバの場所は大洪水以来その場所がわからなくなっていたが、預言者イブラーヒーム(アブラハム)は神からカアバの場所を教えられた。そして、イブラーヒームは息子のイスマーイール(イシュマエル)〔旧約聖書によれば、イブラーヒーム(アブラハム)の後継者はイサクであるが、クルーアンによればイスマーイール(イシュマエル)であるとされている。〕とともにカアバを建設した、という(第2章「牝牛」125-127節)。その後、カアバはイスマーイールの子孫であるアラビア人が信仰の中心とする神殿となったが、やがてイブラーヒーム親子の真正な一神教は忘れ去られて多神教の神殿となったとされる。
イスラーム教の事実上の創始者で最終かつ最高の預言者とされているムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの生まれた時代、カアバはこの地の豪族であるクライシュ族が管理していて、その当時メッカはアラビア半島の交易路の十字路だったためにキャラバンの避難所としても使われていた。そのキャラバンは当時支配的だった多神教の偶像をカアバに奉納し続け一年にちなんだと考えられる360もの偶像があった。しかし、多神教と偶像を否定するムハンマドの興したイスラーム共同体は、クルアーンを通じてカアバを宗教的に重要な場所と認識していた。
このためマディーナへ移転(ヒジュラ)したムハンマドらイスラーム共同体側は、628年に交戦中にあったクライシュ族側と交渉し、メッカへの小巡礼(ウムラ)を行えるよう10年間の休戦を約定した(フダイビーヤの和議)。翌629年にはムハンマド自身もメッカへの小巡礼を行っている。しかし、その後も巡礼中などでの部族間の刃傷事件が絶えず、これを口実としついに630年に預言者ムハンマド率いるムスリム軍がアブー・スフヤーン(ムアーウィヤ1世の父)を筆頭とするクライシュ族のメッカを無血開城して征服した。この時上記のアッラートの「御神体」とされていた「黒石」( )を除く359の聖像が全て破壊されて名実共にイスラームの聖殿とし、同時に伝承によるとムハンマド自身の手によって「黒石」は聖別され、カアバの建物の東の角に据え付けられた。このため現在でもカアバの内部は天井を支える柱などを除くと装飾のない空洞になっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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