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オットー・ウィンツァー : ミニ英和和英辞書
オットー・ウィンツァー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・ウィンツァー : ウィキペディア日本語版
オットー・ウィンツァー[ちょうおん]

オットー・ヴィンツァー(, 1902年4月3日 - 1975年3月3日)は、東ドイツ政治家1965年から1975年まで外務大臣を務めた。
== 経歴 ==
ベルリン生まれ。国民学校卒業後、印字工の教育を受ける。1919年にドイツ共産党(KPD)に入党。1923年に共産党系のドイツ共産主義青年同盟執行委員となる。1925年にオーストリア共産党に入党し、1927年まで国際共産主義青年同盟出版部のウィーン支部長を務める。1927年にドイツに戻り、同出版部ベルリン支部長。
1928年にソビエト連邦に渡り、ソビエト連邦共産党員となる。1934年にフランスに移るものの、翌年コミンテルン出版部に勤務。1937年に大粛清のあおりで逮捕され、コミンテルンを除名される。モスクワで翻訳者・編集者として生計を立てていたが、1941年に名誉回復されコミンテルンに復帰、1943年に自由ドイツ国民委員会委員、翌年共産党学校教師となる。
第二次世界大戦後の1945年、ヴァルター・ウルブリヒトのグループと共にドイツに帰国、ベルリン市人民教育委員となる。1946年にドイツ社会主義統一党(SED)に入党。1947年、SED中央書記局文化教育部長。1947年、SED党中央委員会委員として出版・放送。情報部長。1949年初めに、彼はSEDの党機関紙『ノイエス・ドイチュラント』( 「新しいドイツ」の意)の副編集長となり、その後1956年からヴィルヘルム・ピーク大統領の官房()長を務めた。
1959年から外務次官、1965年から国務相()兼外務第一次官、ついでロタール・ボルツの後任として外相に就任した。1950年以来、彼は人民議会の議員も務めた。外相在任のまま死去。死後遺灰はベルリンの社会主義者墓地に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・ウィンツァー」の詳細全文を読む




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