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オットー・アッド : ミニ英和和英辞書
オットー・アッド[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・アッド : ウィキペディア日本語版
オットー・アッド[ちょうおん]

オットー・アッドOtto Addo, 1975年6月25日 - )は、西ドイツ(現ドイツ)・ハンブルク出身の元カメルーン代表の元サッカー選手。現サッカー指導者
== 経歴 ==

=== クラブ ===
ガーナ出身の医者の息子〔"HSV-Juniorentrainer Addo: "Ich lerne jeden Tag dazu"" 〕として生まれたアッドは、6歳の時にの下部組織でキャリアを始め、ハンブルガーSVとの下部組織を渡り歩き、3部(現4部)のとトップチーム契約を結んだ。1996年に同リーグのハノーファー96へ加入し、後にドイツ代表となるゲーラルド・アサモア, ファビアン・エルンストと共に主力の1人としてプレー。加入1年目は、リーグ最多得点数の100得点と圧倒的な強さでを制するも、王者エネルギー・コットブスとのプレーオフに敗れ涙をのんだが、翌シーズンに2部昇格を果たした。
2部の舞台でも30試合7得点と今までと同様に活躍したことから、1部の強豪ボルシア・ドルトムントに引き抜かれ、1999年9月にアウェーのTSV1860ミュンヘン戦でデビュー。2001-02シーズンは優勝の歓喜を味わう中、アッドは2001年7月15日のDFB ポカールSCフライブルク戦で十字靭帯断裂し、同月22日に右膝の手術を受けた〔"Injury KO for Otto Addo" 〕ことで長期離脱を余儀なくされ、2002年5月8日の決勝デ・カイプフェイエノールト戦(2-3)でエベルトンに代わり61分から途中出場で復帰したが、惜しくも優勝を逃した。2002年9月7日にカンパラで行われたアフリカネイションズカップ2004予選のウガンダ戦で〔"Uganda Shock Ghana" 〕再び右膝の靭帯を断裂〔"Otto Addo out for rest of year" 〕し、2003年9月24日の・FKアウストリア・ウィーン戦(2-1)で今後のキャリアを脅かすことになる3度目の靭帯断裂を右膝に負ってしまった〔"Otto Addo's Injury Not Career Threatening" 〕。この負傷で2004年度全体を欠場し、2005年1月末のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦(ホーム1-1)に途中出場で復帰した。加入してから主力として54試合11得点、特に2年目はキャリア最多にしてチーム2位となる9得点を挙げていたが、翌シーズンの負傷以降は4シーズンで21試合0得点に終わった。
ドルトムントから契約延長のオファーがあったものの、ユルゲン・クロップ監督に魅力を感じ〔"Interview mit Otto Addo: "Ich werde meist in gebrochenem Deutsch angesprochen"" 1.FSVマインツ05に2年+オプション1年で移籍〔"Addo joins German side Mainz" 〕し、クロップ監督も本人も復活を望んでいたが、2シーズンで19試合に終わり、特にインパクトを残すことは出来なかった。しかし、そんな中でガーナ代表としては2006年2月14日に3月1日のメキシコ戦へ向け4年ぶりに招集〔"Otto Addo returns for Ghana" 〕され、2006 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。
2006-07シーズン終了後にマインツが降格し、オプションが行使されず放出されたアッドは、2007年8月9日に地元にして古巣のハンブルガーSVと3年契約を結んだ〔"Hamburg in shock Addo swoop" 〕。元々はリザーブチームのみの起用を想定していたが、監督はプレーぶりに感銘を受けトップチームで4度起用し、2008年10月6日のアルミニア・ビーレフェルト戦でラファエル・ファン・デル・ファールトに代わり90分から途中出場したのが、最後の試合となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・アッド」の詳細全文を読む




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