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オットー・カリウス : ミニ英和和英辞書
オットー・カリウス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・カリウス : ウィキペディア日本語版
オットー・カリウス[ちょうおん]

オットー・カリウス(, 1922年5月27日 - 2015年1月24日)は、第二次世界大戦中のドイツ国防軍の軍人。最終階級は中尉
戦車長として150両以上の敵戦車を撃破したカリウスは、ミハエル・ヴィットマン親衛隊大尉やクルト・クニスペル曹長、エルンスト・バルクマン親衛隊曹長と共に、最も優れた戦車兵の一人として認められる。
== 経歴 ==
ラインラント=プファルツ州ツヴァイブリュッケンに生まれる。ギムナジウムを卒業した頃に第二次世界大戦が勃発し、カリウスは1940年5月25日に第104歩兵補充大隊(ポーゼン)に志願入隊した。訓練を終えると彼は第21装甲連隊へ配属され、1941年バルバロッサ作戦では38(t)戦車に搭乗し初の戦闘を経験した。1942年10月1日に少尉に昇進、1943年には戦車長として第502重戦車大隊へ転属する。この部隊はティーガーIを装備し、レニングラードの正面からエストニアといった激戦区に投入された。
1944年7月22日、「マリナーファの戦い」でアルベルト・ケルシャー曹長と共に2両のティーガーIで、IS-2を10両、及びT-34/85を7両撃破した。
カリウスは1944年7月24日偵察中に重傷を負い、3日後の7月27日に535人目の柏葉付騎士鉄十字勲章受章者となる。
負傷から回復すると、1945年初頭に第512重戦車駆逐大隊ヤークトティーガー中隊の指揮官となる。ヴァルター・シェルフ大尉を長とし、第1中隊長にアルバート・エルンスト中尉が、第2中隊長にカリウスが任命された。部隊は訓練を完了しないまま1945年3月8日西部戦線へ投入される。ライン川防衛戦に参加するものの、戦果はほとんどなく1945年4月15日にアメリカ軍に降伏した。
戦後、1952年薬剤師の免許を所得。1956年に搭乗したティーガー戦車に因んで「ティーガー・アポテーケ(、虎薬局)」(ラインラント=プファルツ州ペッタースハイム)という薬局を開業した。
2015年1月24日に死去し、虎薬局のサイト上に追悼文が掲載された。その内容は下記の通りである。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オットー・カリウス」の詳細全文を読む




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