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エピコ ( リダイレクト:オーランド・コロン ) : ウィキペディア日本語版
オーランド・コロン

オーランド・コロン(''Orlando Colón''、1982年3月24日 - )は、プエルトリコサンフアン出身のプロレスラーフェルナンド(''Fernando'')のリングネームWWEに所属。
叔父は「プエルトリコの帝王」ことカルロス・コロン。親戚にはWWEで活躍したカリート、WWEに所属しているディエゴがいる。
== 来歴 ==
2005年ハイブリッド・プロレスリングにてトレーニングを開始。同年、IWAミッドサウスにてプロレスラーとしてデビューを果たす。
2006年に叔父のカルロス・コロンが主宰するWWCに入団。リングネームをファイア・ブレイズ(''Fire Blaze'')に変更し、覆面レスラーとなる。WWCプエルトリコヘビー級王座を6度獲得するなど、団体のトップレスラーとして活躍した。
2009年ZERO1にヒール・ユニットのワールド・プレミアム・フェデレーション(''WPF'')の一員として参戦。大谷晋二郎と世界ヘビー級王座を賭けて対戦したが敗退した。
2010年WWEと契約。FCWにて本名のオーランド・コロン名義でデビュー。以後、ティト・ニエベス(''Tito Nieves'')、ドス・エクイズ(''Dos Equis'')など度々の改名を経て、現在はエピコ(''Epico'')、ティト・コロン(''Tito Colon'')とリングネームを分けて活動。フニコタッグチームを結成し、ドス・エクイズと名乗っていた頃はロス・アマードス(''Los Amardos'')、エピコに改名後はロス・アヴィアドアース(''Los Aviadores '')にチーム名を変更してFCWフロリダタッグチーム王座を2度獲得した。
王座陥落後はティト・コロンとエピコの両ギミックで活動。2011年9月から大型ユニット、ジ・アセンション(''The Ascension'')の一員となり、11月にはWWEに昇格。4日に放送されたSmackDown!にて素顔で登場。シン・カラと勝負し、ピンチになったところをフニコの介入で反則負けになるも、シン・カラをフニコとのコンビネーションで叩きのめした。11日のSmackDown!ではフニコとタッグを組み、ウーソズから勝利。この時は従兄弟であるプリモがセコンドについた。17日のSuperstarsではプリモとタッグを組んでウーソズと再戦し、返り討ちにしてみせた。その後プリモと本格的にタッグチームを組むことになり、ローザ・メンデスがマネージャーとして帯同。
2012年1月、WWEタッグ王座を保持していたエア・ブーンエヴァン・ボーンがウェルネスポリシーに違反したことにより60日間の試合出場停止処分が下されたため、緊急措置として15日にカリフォルニア州オークランドにて行われたハウスショーでタッグ王座を奪取した。数ヶ月間王座を守っていたが、R・トゥルース & コフィ・キングストン組に王座を奪取され、再戦権もマネージャーのAWの裏切りによって手放すこととなってしまった。
2013年9月、ディエゴ(プリモ)と闘牛のような全身タイツを着用したミニ・エストレージャであるエル・トリートと共に闘牛士ギミックであるロス・マタドールズとして再出発。リングネームもフェルナンド(''Fernando'')へと改名し、プロモーションを展開。9月30日のRAWにてデビューし、3MBを相手に快勝、その後も主にタッグ戦線で活躍をつづけたが2014年7月に短期の負傷欠場。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーランド・コロン」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Epico 」があります。




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