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エドワード・コーク : ミニ英和和英辞書
エドワード・コーク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・コーク : ウィキペディア日本語版
エドワード・コーク[ちょうおん]

サー・エドワード・コーク(Sir Edward Coke, 1552年2月1日 - 1634年9月3日)は、イングランド法律家政治家。中世ゲルマン法に由来するコモン・ローの法思想を理論化し、近代の法思想として継承させることに成功し、「法の支配」という憲法原理を確立した。英国法の発展に大きく貢献した法律家の一人。植民地の起業家でもあった。姓はクックとも発音ならびに表記される〔Merriam-Webster Online 〕。
== 生涯 ==
国王・宗教裁判所・エクイティ裁判所海事裁判所に対してコモン・ローの優位を主張し、それらの権力をコモン・ローによって制限することを主張し続けたとされ、中でも、1606年国王の禁止令状事件が有名である。国王ジェームズ1世王権神授説をもって国王主権を主張したのに対して、コークが「王権も法の下にある。法の技法は法律家でないとわからないので、王の判断が法律家の判断に優先することはない。」と主張したところ、気分を害したジェイムス1世が「王である余が法の下にあるとの発言は反逆罪にあたる。」と詰問したのに対し、コークは、「国王といえども神と法の下にある」というヘンリー・ブラクトンの法諺を引用して諫めたとされる〔以上は上掲『英米判例百選(3版)』89頁〕。
ただし、コークは、国王・王室を篤く崇敬する国王大権の支持者で、反国王・反王室のイデオロギーの持ち主ではない。この事件で、コークは、ノルマン征服以後裁判権に介入しようとした王は歴代の王の中に一人もいないと明確に誤った主張をして王を説得しようとしているが、それにもかかわらず政治的には大きな成果を上げたものと評価されている〔以上は上掲『英米判例百選(3版)』89頁〕〔死後出版された“''Prohibitions del Roi''”は、上記のジェームズ1世とコークの議論を詳細に記したもので、法律は『人造の理性』に基づいており、決定は王ではなく法律家に任せるべきことを、しぶる王に納得させた(一時的にではあったが)ところが記されているが、この事件の存在自体を疑う向きもある(『英米判例百選(3版)』89頁)〕。
さらに、「権利の請願」を起草する際、貴族院庶民院の草案に「国王の主権者権力」(Sovereign power)という文字を入れるよう要求したが、コークらは、それを拒否した。コークの主導の下、国庫歳入を保留することにより、1628年庶民院はイングランド王チャールズ1世に、コークの『権利の請願』を奏上し承諾を得た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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