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エドワード・B・クラーク : ミニ英和和英辞書
エドワード・B・クラーク[えどわーどびーくらーく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・B・クラーク : ウィキペディア日本語版
エドワード・B・クラーク[えどわーどびーくらーく]

エドワード・ブラムウェル・クラーク(、1874年1934年)は、在日イギリス人の英語教師。田中銀之助と共に、日本にラグビーを伝えた人物とされる。
==生涯==
イギリス人の両親の元に横浜市で生まれた。クラークの父親はパン屋を経営しており、妻の死後に日本人女性と再婚した。
14歳の時にクイーン・ヴィクトリア・パブリック・スクールに入学。ラフカディオ・ハーンより作文の添削を受けたほか、日本でのラグビー普及に努めた田中銀之助とも出会った。卒業後は両親の母国であるイギリスへ留学して、ケンブリッジ大学へと入学、ロマンス語イギリス文学を専攻したほか、ラグビーやクリケットなどの競技にも打ち込んだ。
帰国後は迎えられた慶應義塾大学の英語講師として働く傍ら、日本ラグビーの普及に田中銀之助とともに尽力した。1907年には右ひざの関節のリウマチが発症し、足を切断することになった。その後は学問に打ち込むようになり、多くの書物を読破したことからブリタニカ百科事典(E・B)クラークと呼ばれるようになった。
上田敏の後任として京都帝国大学で再び講師として迎えられた際にはイギリス(特にシェイクスピアなど)を講義した。定年の翌年である1934年、脳出血により死去。神戸市立外国人墓地に葬られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・B・クラーク」の詳細全文を読む




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