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エドワード・G・ロビンソン : ミニ英和和英辞書
エドワード・G・ロビンソン[えどわーどじーろびんそん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・G・ロビンソン : ウィキペディア日本語版
エドワード・G・ロビンソン[えどわーどじーろびんそん]

エドワード・G・ロビンソンEdward G. Robinson, 1893年12月12日 - 1973年1月26日)は、アメリカ合衆国俳優ハリウッドで性格俳優として活躍、50年の俳優生活で101本の映画に出演した。
== 略歴 ==
ルーマニアブカレストで、ユダヤ系の両親の間に生まれた 。
1903年に家族と共にニューヨークへ移住。ニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、American Academy of Dramatic Artsで演技を学ぶ。1915年ブロードウェイ・デビューを果たし、舞台俳優として精力的に活動する。また並行して映画にも出ていたが、ほとんどが小さな役であった。
中年近くなった1930年、その後のギャング映画流行のはしりとなったマーヴィン・ルロイのギャング映画『犯罪王リコ』に主演、強烈な印象を残し、以後、ハリウッドのギャング映画には欠かせない存在となる。短躯にだみ声、ふてぶてしい悪役向けの人相で、ギャング役としての知名度は高かった。もっとも本人は高度なインテリジェンスの持ち主であり、8か国語を操るほどの才能があったという。正義漢、悪役、小市民の何れも巧みに演じ、またシリアスもコメディもこなす多才さで、1930年代から1940年代にかけ、ハリウッドで縦横に活躍した。ギャング映画やフィルム・ノワールでの出演は多い。
主演作にも著名作品が多いが、重要な助演者として出演したビリー・ワイルダーの『深夜の告白』の調査員役やジョン・ヒューストンの『キー・ラーゴ』での極悪ギャング役も、主役陣に匹敵するとされている。
しかし、1940年代後期以降の赤狩りの時期に、共産主義者と疑われてブラックリストに載せられてしまい〔Sabin, Arthur J. ''In Calmer Times: The Supreme Court and Red Monday'', p. 35. Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1999〕、映画から離れざるを得なくなってしまう。私生活では絵画コレクターでもあったが、この時期には、当時の妻との離婚による慰謝料捻出のため、長年収集してきたコレクションを300万ドル余り(当時)で手放している。その間はブロードウェイに出演し、1950年代後半から再び映画に出始めるようになった。
1961年(昭和36年)に来日している。
晩年の出演としては、主演のスティーブ・マックイーンを向こうに張る老ギャンブラーとして堂々たる貫禄を見せた『シンシナティ・キッド』(1965年)が挙げられる。
1973年1月26日、79歳で死去。『ソイレント・グリーン』が遺作となった。現役時代にはその演技力への評価にも関わらず、アカデミー賞受賞に一度も至らなかったが、死後の約2ヶ月後に開催された第45回アカデミー賞で名誉賞が授与された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・G・ロビンソン」の詳細全文を読む




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