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アントニオ・ロセッティ : ミニ英和和英辞書
アントニオ・ロセッティ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アントニオ・ロセッティ ( リダイレクト:フランティシェク・アントニーン・レスレル ) : ウィキペディア日本語版
フランティシェク・アントニーン・レスレル

フランチシェク・アントニーン・レスレルFrantisek Antonin Rössler, 1750年 - 1792年6月30日)は、18世紀ボヘミア作曲家コントラバス奏者。1773年イタリア風の「アントニオ・ロセッティロゼッティ)」(Antonio Rosetti)に改めた。ドイツ語名のフランツ・アントン・レスラーFranz Anton Rösler)としても知られる。本稿では、以下ロセッティと記す。
ボヘミア北部のリトムニェジチェ出身。イエズス会神学校で早期の音楽教育を受けたと見做されている。1773年に生地を去って、6年の間エッティンゲン=ヴァラーシュタイン侯爵の宮廷楽団に加わる。1777年にロジーナ・ネーアと結婚し3児をもうける。1789年にメクレンブルク=シュヴェーリン公の宮廷楽長に就任。1781年に休暇を与えられて5ヵ月をパリに過ごす。パリで最高の楽団の多くがロセッティの作品を演奏してくれた。自作を出版してもらえるように手筈を整え、1782年に6つの交響曲が出版された。職務に復帰すると、洗練された作曲家として認められたと自負するようになった。モーツァルトの死から半年後に他界した。
ロセッティは大量に作曲し、数多くの交響曲や協奏曲、声楽曲を残した。こんにち最も有名なのは、いくつかのホルン協奏曲であろう。モーツァルト研究者のH.C.ロビンス・ランドンは、これらの作品がモーツァルトのホルン協奏曲のモデルになったのではないかと示唆している。ロセッティのレクイエム1776年)は、プラハにおけるモーツァルトの追悼式で演奏された。
ロセッティ作品の真贋判定は難しい。この時期には、「フランチスクス・クサヴェリウス・アントニウス・レスレル」のように、似たような姓名の作曲家がほかにも数人いたからである。
==外部リンク==

*国際ロセッティ協会公式ホームページ (独語)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランティシェク・アントニーン・レスレル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Antonio Rosetti 」があります。




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