翻訳と辞書
Words near each other
・ アルドゲイト駅
・ アルドゲート駅
・ アルドステロン
・ アルドステロン エスケープ
・ アルドステロン分泌
・ アルドステロン抑制試験
・ アルドステロン拮抗薬
・ アルドステロン産生腺腫
・ アルドステロン症
・ アルドステロン誘導蛋白
アルドナ・オナ・ゲディミナイテ
・ アルドノアゼロ
・ アルドノア・ゼロ
・ アルドブランディーニの聖母
・ アルドヘキソース
・ アルドラ
・ アルドラゴン
・ アルドラーゼ
・ アルドリア
・ アルドリン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルドナ・オナ・ゲディミナイテ : ミニ英和和英辞書
アルドナ・オナ・ゲディミナイテ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アルドナ・オナ・ゲディミナイテ : ウィキペディア日本語版
アルドナ・オナ・ゲディミナイテ

アルドナ・オナ・ゲディミナイテリトアニア語:Aldona Ona Gediminaitė;ポーランド語:Aldona Anna Giedyminówna、洗礼名はオナまたはアンナで、異教徒名であるアルドナに関してはマチェイ・ストルィイコフスキの記述にのみ記載〔、1309年頃 - 1339年5月26日)は、ポーランド王カジミェシュ3世の最初の妃。リトアニアゲディミナス大公の娘。
アルドナは1325年、15歳か16歳のときにポーランド王ヴワディスワフ1世の一人息子カジミェシュと結婚した。2人はおそらく同い年であった。この結婚はドイツ騎士団に対抗するために結ばれた最初のポーランド・リトアニア同盟を強化するための、完全な政略結婚だった〔 〕。ヴワディスワフ1世とカジミェシュの父子はポモジェの領有をめぐる騎士団との紛争に関して味方を探しており、ゲディミナスの側はこのとき、失敗に終わることになったリトアニアのキリスト教化の試みに着手したばかりであった。この縁組による同盟関係は1385年のクレヴォ合同、1569年に新国家ポーランド・リトアニア共和国を成立させたルブリン合同の先駆けといえた〔 〕。結婚に際して結ばれた和約の詳細は不明だが、この時ゲディミナスが約2万5000人のポーランド人の捕虜を全て釈放したことは知られている〔。カジミェシュもボヘミア王ヨハンの娘ユッタとの縁談を断ってアルドナを妻に迎えたのであり、この逸話からもリトアニアとの同盟の重要性が窺える。この結婚による同盟は早くも1326年には実行に移され、ブランデンブルク辺境伯と戦うためのポーランド・リトアニア連合軍が結成されている〔。しかし、同盟は強固なものとはいえず、ポーランドとリトアニアの間に紛争が起きたことを示す史料は何もないものの、アルドナ存命中であった1330年頃には崩壊している〔。1289年よりリトアニアを支配していた王朝との結びつきは、1320年にプシェミスル朝に代わってポーランド王として戴冠したピャスト朝のヴワディスワフ1世のポーランド支配に、いくばくかの正統性をもたらした。アルドナは1333年に夫の即位に伴って王妃となったが、1339年の5月末に急死し、クラクフに埋葬された。
アルドナは敬虔さと音楽への貢献によって記憶されている。王妃はどこへ行くにも宮廷音楽家を連れていた。年代記作家ヤン・ドゥウゴシュは、行進中にシンバルを叩く習慣は、アルドナ王妃が持ち込んだリトアニアの異教の風習だったのではないか、という考察まで書き残している〔Rowell, C. S. ''Lithuania Ascending'', 232〕。夫のカジミェシュ3世は艶福家として有名で、アルドナの死後も3度結婚している。アルドナが産んだ二人の娘のうち、次女クネグンダは神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の長男であるバイエルン公ルートヴィヒ6世と1345年に結婚し、長女エルジュビェタはポモジェのスウプスク公ボグスワフ5世に嫁いだ。エルジュビェタの同名の娘は、神聖ローマ皇帝ボヘミア王カール4世の皇后となった。
==参考文献==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルドナ・オナ・ゲディミナイテ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.