翻訳と辞書
Words near each other
・ エリーザベト・フォン・チューリンゲン
・ エリーザベト・フォン・テューリンゲン
・ エリーザベト・フォン・デア・プファルツ
・ エリーザベト・フォン・デア・プファルツ (1618-1680)
・ エリーザベト・フォン・トゥルン・ウント・タクシス (1860-1881)
・ エリーザベト・フォン・ハプスブルク
・ エリーザベト・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
・ エリーザベト・フォン・プロイセン
・ エリーザベト・フォン・プロイセン (1815-1885)
・ エリーザベト・フォン・ベーメン
エリーザベト・フォン・ポンメルン
・ エリーザベト・フォン・ルクセンブルク
・ エリーザベト・フォン・ヴュルテンベルク
・ エリーザベト・フランツィスカ・フォン・エスターライヒ
・ エリーザベト・フランツィスカ・フォン・エスターライヒ=トスカーナ
・ エリーザベト・フランドリカ・ファン・ナッサウ
・ エリーザベト・フリッツル
・ エリーザベト・フリーデリケ・ゾフィー・フォン・ブランデンブルク=バイロイト
・ エリーザベト・ヘレーネ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス
・ エリーザベト・ホイナツカ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エリーザベト・フォン・ポンメルン : ミニ英和和英辞書
エリーザベト・フォン・ポンメルン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エリーザベト・フォン・ポンメルン : ウィキペディア日本語版
エリーザベト・フォン・ポンメルン[ちょうおん]

エリーザベト・フォン・ポンメルンドイツ語Elisabeth von Pommern, 1347年 - 1393年4月15日)は、神聖ローマ皇帝カール4世の皇后。
ポメラニア公ボグスワフ5世(pl)とポーランド王女エルジュビェタカジミェシュ3世の子)の長女として生まれた。ポーランド語名はエルジュビェタ・ポモルスカ(Elżbieta Pomorska)。
1363年クラクフで30歳以上年長のカール4世と結婚した。この結婚には同盟するポーランド・ハンガリーラヨシュ1世と共に、オーストリア大公ルドルフ4世の反ボヘミア派と対抗する目的があった。1363年、エリーザベトはプラハでボヘミア王妃として戴冠、1368年には神聖ローマ皇后として戴冠した。
野心的で健康であったというエリーザベトには、6人の子が生まれた。
*アンナ(1366年 - 1394年) - イングランドリチャード2世
*ジギスムント(1368年 - 1437年) - ハンガリー王、のちボヘミア王、神聖ローマ皇帝
*ヨハン(1370年 - 1396年) - ゲルリッツ
*カール(1372年、夭折)
*マルガレーテ(1373年 - 1410年) - ニュルンベルク城伯ヨハン3世
*ハインリヒ(1377年、夭折)
1378年に夫と死別後、継子にあたるヴェンツェルが即位した。エリーザベトはジギスムントとヨハンの2人の養育に取り組み、ジギスムントがハンガリー王位を獲得するのを支援した。
1393年、フラデツ・クラーロヴェーで死去、聖ヴィート大聖堂に眠る夫の横に埋葬された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリーザベト・フォン・ポンメルン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.