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エリーザベト・フォン・ハプスブルク : ミニ英和和英辞書
エリーザベト・フォン・ハプスブルク[ぶる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

エリーザベト・フォン・ハプスブルク : ウィキペディア日本語版
エリーザベト・フォン・ハプスブルク[ぶる]

エリーザベト・フォン・ハプスブルク(Elisabeth von Habsburg)またはエリーザベト・フォン・エスターライヒ(Elisabeth von Österreich, 1437年頃 - 1505年8月30日)は、ポーランド王およびリトアニア大公であるカジミェシュ4世の妃。ポーランド語名はエルジュビェタ・ラクシャンカ(Elżbieta Rakuszanka)。神聖ローマ皇帝アルブレヒト2世ボヘミア王ハンガリー王オーストリア公を兼ねた)と妃エリーザベト・フォン・ルクセンブルク(同じく皇帝と2つの王位を兼ねたジギスムントの娘)の次女。姉にテューリンゲン方伯ヴィルヘルム3世夫人アンナ、弟にオーストリア公を継承し、2つの王位にもついたラディスラウスがいる。
1454年にカジミェシュ4世と結婚し、2人の間には、曾祖父・祖父・叔父と同様にボヘミアとハンガリーの王を兼ねたウラースロー2世、相次いでポーランド王位を継承したヤン1世アレクサンデルジグムント1世ら13人の子が生まれた。
== 子女 ==

*ウラースロー2世(1456年 - 1516年) ボヘミア王及びハンガリー王
*ヤドヴィガ(1457年 - 1502年) - バイエルン=ランツフート公ゲオルクと結婚
*カジミェシュ(1458年 - 1484年) - リトアニアの守護聖人
*ヤン1世オルブラフト(1459年 - 1501年) - ポーランド王
*アレクサンデル(1461年 - 1506年) - リトアニア大公、後にポーランド王
*ゾフィア(1464年 - 1512年) - ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯フリードリヒ5世と結婚
*エルジュビェタ(1465年 - 1466年)
*ジグムント1世(1467年 - 1548年) - リトアニア大公、後にポーランド王
*フリデリク(1468年 - 1503年) - 枢機卿、クラクフ司教、グニェズノ大司教
*エルジュビェタ(1472年 - 1480年頃)
*アンナ(1476年 - 1503年) - ポモジェ公ボグスワフ10世と結婚
*バルバラ(1478年 - 1534年) - ザクセン公ゲオルクと結婚
*エルジュビェタ(1483年 - 1517年) - レグニツァ公フリデリク2世と結婚



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エリーザベト・フォン・ハプスブルク」の詳細全文を読む




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