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1856年アメリカ合衆国大統領選挙 : ミニ英和和英辞書
1856年アメリカ合衆国大統領選挙[1856ねんあめりかがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
アメリカ合衆国 : [あめりかがっしゅうこく]
 (n) the United States of America
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合衆国 : [がっしゅうこく]
 【名詞】 1. United States of America 2. federal state
: [しゅう]
 【名詞】 1. masses 2. great number 3. the people 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
国大 : [こくたい, こくだい]
 【名詞】 1. national university 
大統領 : [だいとうりょう]
 【名詞】 1. president 2. chief executive 
大統領選 : [だいとうりょうせん]
 (n) presidential election
大統領選挙 : [だいとうりょうせんきょ]
 (n) presidential election
統領 : [とうりょう]
  1. (n,vs) chief 2. leader
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選挙 : [せんきょ]
  1. (n,vs) election 

1856年アメリカ合衆国大統領選挙 : ウィキペディア日本語版
1856年アメリカ合衆国大統領選挙[1856ねんあめりかがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ]

1856年アメリカ合衆国大統領選挙(1856ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election of 1856)は、奴隷制の問題を巡ってそれまでになく加熱した選挙であった。共和党が奴隷勢力に対して改革に立ち上がり、民主党は、共和党が過激主義者であって、共和党に政権を渡せば内乱を招くと警告した。新しく出来て間もない共和党はカンザス・ネブラスカ法と奴隷制の拡張を非難し、民主党は奴隷制の拡張については自由競争寄りの提案をして、それは州ごとに決められるべきという公式の立場を採った。3番目の政党として比較的新しいノウ・ナッシングは、反移民政策の立場を採り、奴隷制問題を無視し、一般投票の4分の1近くを獲得した。
現職大統領フランクリン・ピアースは民主党の予備選で再指名を得られなかった。民主党はペンシルベニア州出身のジェームズ・ブキャナンを指名した。これは民主党がカンザス・ネブラスカ法が原因で2つに割れていたことに一部原因があった。前回選挙まで民主党と戦っていたホイッグ党は奴隷制問題で崩壊し、共和党やアメリカ党のような新しい組織がそれに置き換わろうとしていた。共和党はカリフォルニア州出身のジョン・フレモントを最初の看板候補に指名した。他の2人の競争者、ウィリアム・スワードサーモン・チェイスは急進的過ぎるように思われた。ノウ・ナッシングは、元大統領で、ニューヨーク州出身のミラード・フィルモア(第13代、在位1850年-1853年)を指名した。また万年候補も出馬した。
フレモントは奴隷州からも600票足らずを得た。すべてデラウェア州メリーランド州からの票であった。しかし、選挙人団投票の結果から見ると、次の1860年の選挙の時に、あと2つの州、例えばペンシルベニア州とイリノイ州を獲得すれば共和党は勝つことが出来ると思わせる結果だった。

== 一般選挙 ==

=== 選挙運動 ===

3人の候補者全てが地方遊説をしなかった。共和党は新しい領土への奴隷制拡張に反対し、そのスローガンは「自由な言論、自由な出版、自由な土地、自由な人間、フレモントそして勝利!」であった。共和党は奴隷勢力に対して立ち上がり、奴隷制が共和制の価値を破壊していると警告した。民主党は共和党が勝てば内乱が起こると警告することで反論した。
共和党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法、および新しい州が合衆国に自由州として加盟するか奴隷州として加盟するかを人民主権で決めるという政策によってミズーリ妥協が撤廃されることに反対した。共和党は現職のピアース大統領が、カンザス準州の市民に欺瞞的な準州政府を押し付けたことと、「血を流すカンザス」に起きた暴力沙汰を許したことを非難し、カンザスを自由州として即刻加盟させることを提唱した。合衆国の大陸内にある領土への奴隷制拡張に反対するとともに、スペイン領であったキューバを取り込むというオステンド・マニフェストにも反対した。選挙運動を要約すれば、その焦点は奴隷制度に対する反対であり、それは合衆国が築いてきた共和制の価値を破壊するものだと感じていた。

民主党の綱領では、カンザス・ネブラスカ法と西部の準州に導入された人民主権という政策を支持していた。またカンザスで選出された奴隷制擁護の準州政府を支持していた。この準州政府はカンザスの自由州推進派に対抗し、を不法な会議で作られた不法な文書として反対していた。さらにブキャナンが駐イギリス大使であったときに画策したオステンド・マニフェストの中でうたわれているキューバの併合案を支持した。民主党の選挙運動で最も訴えたことは、共和党が勝てば南部の多くの州が脱退するという警告であった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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