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谷貝宿 : ウィキペディア日本語版
谷貝宿[やがいしゅく]
谷貝宿(やがいしゅく、やがいじゅく)は、江戸時代日光東街道(関宿通多功道)における下総国宿場。現在は茨城県古河市谷貝に相当する。
日光東街道の起点となる水戸街道小金宿我孫子宿間の追分から数えて5番目の宿場である。
== 歴史 ==
戦国時代の谷貝については、古河公方足利義氏の近臣だった芳春院周興らによる天正2年(1574年)連署状に、「矢貝(屋か井)」は御中居領であり下総相馬氏に下されたと見える。なお、御中居は公方の身の回りの世話をする下級武士。このころの谷貝は、古河公方御料所の一部であったことが分かる。〔『三和町史 通史編 原始・古代・中世』 432 - 434頁(片田・五部・矢貝)〕
宿駅の成立は、江戸時代初期の元和5年(1619年)頃と考えられている〔『三和町史 通史編 近世』 201頁(諸川・仁連・谷貝町(宿)の成立)〕。宿駅の管理は主に関宿藩が担った。ただし、明和6年(1769年)から安永3年(1774年)の5年間は、幕府だった。〔『日光東街道 諸川・仁連・谷貝町~景観いま、むかし~』 49-50頁(日光東街道 谷貝町のいま、むかし)〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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