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長谷川海太郎[はせがわ かいたろう]

長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本小説家翻訳家林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて活躍した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。
== 生涯 ==

===生い立ち===
後にジャーナリストとして活躍する長谷川清(のちに改名した長谷川淑夫の名前で知られる。楽天、あるいは世民とも号した)の長男として新潟県佐渡郡赤泊村(現:佐渡市赤泊)に生まれる。なお同家次男の潾二郎(りんじろう)は画家(地味井平造の変名で推理小説をも書いた)、三男のはロシア文学者、四男の四郎は作家となった。1歳のとき、函館新聞の主筆となった父に従って一家で函館に移住、同地の北海道庁立函館中学校(現函館中部高校)に入学する。当時の函館は国際色豊かな港町であり、海外への憧れを抱き成長したという。父は子供の頃から海太郎に英語を教え、また徳富蘆花「順礼紀行」を愛読した。中学3年頃から石川啄木に傾倒、4年の時には野球の応援団長として活躍した。
函館中学で5年生一同が運動部長排斥からストライキを起こし、首謀者とされた海太郎が卒業試験で落第処分となり、退校して上京し、明治大学専門部法科に入学する。明治大学専門部卒業後、1918年に太平洋航路の香取丸で渡米し、オハイオ州オベリン大学に入学するが、1920年に退学、様々な職種を転々としながら全米を放浪する。1924年には貨物船の船員として南米からオーストラリア、香港を経て、大連に寄港し、そこで下船して朝鮮経由で帰国した。再度渡米を予定していたが、移民法の改正があってアメリカ大使館からビザが降りなくなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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