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西國寺 : ウィキペディア日本語版
西國寺[にしくにてら]

西國寺〔尾道市のホームページ中の''尾道まちめぐり''でも旧字体「國」で紹介してあるので西國寺とした。〕(さいこくじ)は広島県尾道市にある寺院。真言宗醍醐派大本山である。山号は摩尼山、院号は総持院。本尊は薬師瑠璃光如来坐像(国の重要文化財)で秘仏である。中国三十三観音霊場特別霊場、中国四十九薬師霊場第十六番札所、山陽花の寺二十四か寺第十九番札所、備後三十三観音霊場第六番札所である。
== 歴史 ==
寺伝によれば奈良時代の天平年間(729年 - 749年)行基が巡国中にこの地で加茂明神の霊夢を見たことにより建立されたという。『西國寺由来記』によれば、平安時代初期の治暦2年(1066年)火災により堂宇の大半を焼失したが、白河天皇の勅命により、当時の住職・慶鑁によって復興された。永保元年(1081年)には愛宕山の山麓から中腹にかけて巨大な伽藍が完成した。永保2年(1082年)白河天皇の祈願所となった。さらに天仁元年(1108年)には法皇となった白河上皇により勅願寺となり、官寺として100を超える末寺を持った。山陽道随一の伽藍を誇り、正和元年(1312年花園天皇の綸旨を受け寺院の名称を西國寺とした。現在においてもなお、数ある尾道市の寺院の中で最大の規模を誇っている。
南北朝時代永和年間(1375年 - 1378年)に、再び火災により焼失した。備後国守護大名であった山名氏が寺院の復興にあたり、至徳3年(1386年)には、早くも金堂が復興し現在にその姿を留めている。三重塔は永享元年(1429年室町幕府6代将軍足利義教の寄進により建立され現在に至っている。
宗派は一時、醍醐派より分かれ真言宗西國寺派の総本山を称していたが、現在は醍醐派に帰属している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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