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藤原道家 : ウィキペディア日本語版
九条道家[くじょう みちいえ]
九条 道家(くじょう みちいえ、建久4年(1193年)7月 - 建長4年2月21日1252年4月1日))は、鎌倉時代前期の公卿。摂政九条良経の長男。妻は太政大臣西園寺公経の娘等。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経の父。官位従一位准三宮摂政関白左大臣。光明峯寺殿、峯殿を号す。通称に光明峯寺関白(こうみょうぶじ かんぱく)。京都九条通に東福寺を建立した。
== 生涯 ==

=== 朝廷内で出世 ===
幼少時から祖父の九条兼実に寵愛され、祖父に引き取られて養育された。建仁3年(1203年)2月13日、元服すると同時に正五位下に叙任される。その後も侍従左近衛中将従三位権中納言と栄進を続ける。元久3年(1206年)春、父の良経が急死すると、道家はその後を継ぐ。
承元3年(1209年)3月、姉の立子を皇太弟の守成親王(後の順徳天皇)の妃として娶わせる。そのため、その後も左近衛大将権大納言内大臣右大臣と栄進を続ける。更に順徳天皇と姉立子との間に懐成親王(後の仲恭天皇)が生まれると、東宮補佐役となる。建保6年(1218年)12月には叔父の九条良輔が死去したこともあり、左大臣にまで栄進した。これは天皇家の外戚関係になったことと、岳父の西園寺公経鎌倉幕府との関係が深かった事から〔当時の西園寺公経の影響力を疑問視する説(本郷和人『人物を読む日本中世史 頼朝から信長へ』講談社選書メチエ2006年、ISBN 4062583615 など)もある。〕、幕府の後ろ盾によるところが大きかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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