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第一号型駆潜艇(だいいちごうがたくせんてい)とは大日本帝国海軍が使用した駆潜艇の艇級。潜水艦制圧のため、船形を細くし高速発揮を狙った設計であったが、その反面乾舷が低く、復元性もあまり良くなかったため航洋性は高くなかった。第一次補充計画(マル1計画)の昭和八年度追加計画により2隻建造され、両艇とも友鶴事件、第四艦隊事件を受けて性能改善工事を実施されている。一隻が被雷して沈没。もう一隻は終戦後シンガポールにて自沈処分された。準同型艇として第三号駆潜艇がある。 == 艇歴 == ;第一号駆潜艇 *1934年(昭和9年)3月24日浦賀船渠にて竣工 *1940年4月1日駆潜艇に分類 *1946年7月11日シンガポールにて自沈処分 *1946年8月10日除籍 ;第二号駆潜艇 *1934年3月25日石川島造船所にて竣工 *1940年4月1日駆潜艇に分類 *1945年6月27日ジャワ海でアメリカ潜水艦ブルーバック(SS-326)の攻撃により被雷沈没 *1945年8月10日除籍 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第一号型駆潜艇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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