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澤木興道 : ウィキペディア日本語版
澤木興道[さわき こうどう]

澤木 興道(さわき こうどう、道号:祖門、1880年6月16日 - 1965年12月21日)は、昭和を代表する日本曹洞宗僧侶である。
== 生涯 ==
三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉養子となる。1897年出家を志して永平寺に入り、1899年に出家するも、兵役に取られ、日露戦争に従軍して負傷する。退役後、佐伯定胤唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県大慈寺に入り、旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。
これより、各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。1935年總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、鎌田茂雄酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。
「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。
現在、その思想、指導方法はアメリカスタンフォード大学にある曹洞禅センターにも受け継がれている。
このほかにも、栃木県大中寺に天暁禅苑を、京都府安泰寺に紫竹林参禅道場を開き、坐禅の指導に当たり、駒澤大学退任後は、安泰寺で弟子の内山興正と共に後進の指導に当たった。

なお、駒澤大学の禅文化博物館には、禅堂より移転した澤木興道の木像が弟子の弟子丸泰仙の木像と共に安置されているほか、大学図書館には蔵書が澤木文庫として保管されている。
遺体は死後に献体された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「澤木興道」の詳細全文を読む



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