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村田経芳 : ウィキペディア日本語版
村田経芳[むらた つねよし]

村田 経芳(むらた つねよし、天保9年6月10日1838年7月30日) - 大正10年(1921年2月9日)は、薩摩藩藩士日本陸軍軍人階級陸軍少将栄典従二位勲一等男爵通称は勇右衛門。村田銃の開発者として知られる。
== 経歴 ==
薩摩藩士・村田蘭斎(経徳)の長男として生れる。藩随一の射撃の名手として知られ、戊辰戦争では外城一番隊長として従軍し、鳥羽・伏見の戦いなど東北各地を転戦した。
1871年御親兵として上京し、陸軍歩兵大尉に任官する。1875年、射撃技術と兵器研究のため、フランスなどヨーロッパに派遣される。1877年、陸軍少佐陸軍戸山学校教官として銃の改良や射的技術の向上にあたり、1880年には最初の国産銃・十三年式村田銃を開発した。
陸軍省東京砲兵工廠御用掛、貴族院議員を歴任した。1890年陸軍少将に昇進して予備役編入となる。1896年、戊辰戦争・西南戦争の軍功により男爵を授けられる。
1921年肝臓病のため死去。享年83。墓地は、東京都台東区谷中霊園

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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