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房暉遠[ぼう きえん] 房暉遠(ぼう きえん、生没年不詳)は、北斉から隋にかけての儒学者。字は崇儒。本貫は恒山郡真定県。 == 経歴 == 儒学を代々伝える家に生まれた。幼くして三礼・春秋三伝・『詩経』・『書経』・『周易』を学び、さらに図緯を修めた。儒学を教授して、弟子は1000人を数えた。北斉の南陽王高綽が定州刺史となると、召されて博士をつとめた。北周の武帝が北斉を滅ぼすと、召されて小学下士となった。隋が建国されると、太常博士に任じられた。牛弘には「五経庫」と呼ばれ、韋世康の推薦を受けて太学博士となった。鄭訳とともに楽章の修正の事業に参画した。母が死去すると、服喪のため辞職した。数年後、殄寇将軍の位を受け、再び太常博士となった。しばらくして国子博士に抜擢された。仁寿年間、在官のまま死去した。享年は72。員外散騎常侍の位を追贈された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「房暉遠」の詳細全文を読む
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