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房州堀 : ウィキペディア日本語版
房州堀[ぼうしゅうぼり]
房州堀(ぼうしゅうぼり)とは、近世博多筑前国那珂郡)の南縁を画していたの名称として最もよく知られるものである。なお、「房州」とは「安房国」の意で、臼杵鑑続(後述)の受領名「安房守」にちなむとされる。

==概要==

近世の博多は環濠都市であり、北縁は海、東・西は川、そして南縁は堀によって画されていた。堀は石堂川から鉢の底川(那珂川の支流)に至る、幅約20~30m、長さ約900mの規模のもので、1699年のものと推定される〔小林茂ほか『福岡平野の古環境と遺跡立地―環境としての遺跡との共存のために―』(九州大学出版会、1998年)pp.246-7〕精密な実測図〔福岡県史編纂資料651「福岡御城下絵図」(福岡県立図書館)〕によってその形状を知ることができる。その築造時期や築造者は、近世の地誌に言及されるものの、一次史料はなく、また発掘調査の結果も築造時期を断定するに至ってはいない〔木島孝之「房州堀は戦国期の産物か Ⅱ」『中世城郭研究』11号(中世城郭研究会、1997年)pp.156-7〕。
堀の名称は一般に「房州堀」が知られるが、このほかにも宗也堀、大屋堀(太屋堀)、古屋堀などの名称が地誌の記述に見える。「房州堀」の名が広く知られるようになったのは、その名称を取り上げた「筑前国続風土記」が、他の地誌に先駆けて、しかも明治43(1910)年というかなり早い時期に翻刻・刊行されたからであろう〔益軒会編『益軒全集』巻之四(益軒全集刊行部、1910年)〕。あるいはその著者、貝原益軒が文献史料を重視していたことによるある種の対人論証なのかもしれない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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