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ビルヒニア・ルアノパスクアル : ウィキペディア日本語版
ビルヒニア・ルアノ・パスクアル

ビルヒニア・ルアノ・パスクアルVirginia Ruano Pascual, 1973年9月21日 - )は、スペインマドリード出身の女子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られる。長年にわたり、アルゼンチンパオラ・スアレスとペアを組んで活躍してきた。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルス42勝(うち4大大会女子ダブルス10勝)を挙げた。自己最高ランキングはシングルス28位、ダブルス1位。身長169cm、体重60kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。
== 来歴 ==
ダブルス・ペアにはいろいろなタイプがあるが、ルアノ・パスクアルとスアレスは10年以上ペアを組み、息を合わせてきた親友である。2人のペアが女子テニスツアーで勝つようになったのは、1998年のシーズンからであった。2001年全仏オープンを契機に、2人のペアは4大大会の女子ダブルスで「8勝」を記録した。2002年全仏オープンの女子ダブルス2連覇と、全米オープン女子ダブルス初優勝がある。全米女子ダブルスには、2004年まで大会3連覇を達成した。2003年全仏オープン2003年ウィンブルドンの女子ダブルスでは、杉山愛キム・クライシュテルスの組が“世界最強ペア”ルアノ・パスクアル&スアレス組の壁を破り、4大大会女子ダブルス2連覇の偉業を成し遂げた。しかし、クライシュテルスがシングルス優先の方針から杉山とのペアを解消する。ルアノ・パスクアルとスアレスの組は、2003年の全米女子ダブルスで2連覇を果たすと、2004年度はダブルスでウィンブルドンを除く年間3冠を獲得した。
2004年アテネ五輪で、ビルヒニア・ルアノ・パスクアルはスペイン代表選手としてコンチタ・マルティネスとともに女子ダブルスの銀メダルを獲得した。ルアノ・パスクアルとマルティネスは、決勝で中国ペアの李婷&孫甜甜組に 3-6, 3-6 のストレートで敗れた。
2005年はパートナーのスアレスの故障と、新たなライバルの登場もあり、2人のペアの勝利はやや減少したが、全仏オープンの女子ダブルスで2年連続4度目の優勝を飾った。スアレスの故障を乗り越え、2人は2006年ウィンブルドンの女子ダブルスで再び決勝進出を果たす。3年ぶりの決勝では中国ペアの鄭潔&晏紫組に 3-6, 6-3, 2-6 で敗れ、またもやウィンブルドン・ダブルス初優勝のチャンスを逃した。スアレスは2007年全米オープンを最後に、31歳で現役を引退した。
スアレスの引退後、ルアノ・パスクアルは同じスペインの後輩選手アナベル・メディナ・ガリゲスと組んで大半のダブルス戦に出場するようになった。ルアノ・パスクアルとメディナ・ガリゲスは、2008年全仏オープンの女子ダブルスでフランチェスカ・スキアボーネイタリア)&ケーシー・デラクアオーストラリア)組を 2-6, 7-5, 6-4 で破り、このコンビでも4大大会優勝を果たした。ルアノ・パスクアルにとっては、2005年以来3年ぶり5度目の全仏女子ダブルス優勝となる。ルアノ・パスクアルとメディナ・ガリゲスは北京五輪でも女子ダブルス決勝に進出したが、ビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組(アメリカ、当年度のウィンブルドン優勝ペア)に 2-6, 0-6 で完敗し、ルアノ・パスクアルは2大会連続の銀メダルに終わった。
2009年全仏オープン女子ダブルス決勝で、ルアノ・パスクアルとメディナ・ガリゲスはビクトリア・アザレンカベラルーシ)&エレーナ・ベスニナロシア)組を 6-1, 6-1 で圧倒し、このペアで2年連続優勝を飾った。
シングルスでのルアノ・パスクアルは、ダブルスに比べると印象はやや薄いが、1995年全仏オープン2003年全豪オープンで2度のベスト8進出がある。1995年全仏オープンの女子シングルス準々決勝では、同じスペインのコンチタ・マルティネスに 0-6, 4-6 で敗れた。2003年全豪オープンで8年ぶり2度目の女子シングルス準々決勝進出を果たした時は、ジュスティーヌ・エナン=アーデンに 2-6, 2-6 で敗れている。2001年ウィンブルドン女子シングルス1回戦では、当時20歳だった第1シードのマルチナ・ヒンギスを 6-4, 6-2 で破ったこともある。2006年全豪オープンでは3年ぶりのシングルス4回戦に進出した。
ルアノ・パスクアルは2010年ウィンブルドン選手権を最後に36歳で現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビルヒニア・ルアノ・パスクアル」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Virginia Ruano Pascual 」があります。



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